体験記一覧

神経症の苦しみにどん底でもがきながらも、森田療法を学び、実生活で実践を繰り返すことで見事に立ち直った会員の、回復体験記をご紹介します。
ぜひご自身の症状に近い体験記からお読みになり、どのように自分のことを受け入れられるようになったのかを自分のことのように感じ取っていただければと思います。

  • 不安神経症

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    不安神経症・トイレ不安~とらわれからの回復(Y.Aさん/50代/会社員)

    私の症状は全般性不安障害・不安神経症で、一番苦しんだのはトイレ不安です。トイレのない場所や行きにくい環境に置かれると「腹痛が起きるのではないか」と強く不安を感じました。北西憲二先生の「森田療法のすべてがわかる本」を読み、私は不安神経症でその症状の一つが過敏性腸症候群だったと知りました。生活の発見会員になり、会誌を読み集談会に通い、安心な居場所をみつけ「自己否定感」でいっぱいだった生活が、自然と「自己肯定感」へ流れるようになり、前向きに生活をするようになりました。私が気づかないくらいにゆっくりとよくなっていたのだと思います。

    森田療法と行動で埒(らち)を開ける(S.Hさん/30代/会社員)

    私は中学時代から誤った「かくあるべし」を膨らませ、理想の私と実際の私とのギャップからジレンマに陥り、怯えや怒りや憎しみでいつも警戒しひどく衰弱し大学を中退しました。東北の震災で子供時代からある死の恐怖がぶり返し、全てが予期不安を起こすきっかけとなり、生きるのも死ぬのも辛いという孤立の中にいました。森田療法を知り集談会や基準型学習会に参加し、さまざまな気づきが深まりました。それからは不安は一旦棚上げし、仕事や日常生活を丁寧にやるという生活をひたすら繰り返し、よどんでいた生活が流れ始めました。

  • 対人恐怖(コミュニケーション障害)

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    自己受容の道(T.Uさん/37歳/主婦)

    私は場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)のような極端な人見知りで、自分からはほとんど口を利かない子でした。
    対人能力に劣等感を抱き、高校時代には激しい衆前恐怖になりました。
    森田療法を知り20年数年経った今、根強かった劣等感は小さくなり、なくならないと思っていた対人緊張もなくなりました。
    仕事やプライベートでの経験や、発見会で積極的に活動してきた事実の積み重ねが、こんな自分でもやれるという自己評価につながったのだと思います。

    対人恐怖と発見会と介護と(H.Yさん/45歳/男性/介護職)

    父、母、兄との確執が続き、家には居場所がありませんでした。
    高校2年くらいから視線恐怖、醜形(しゅうぎょう)恐怖といった社交不安の症状が現れ、心が壊れました。
    受験に失敗。症状を抱え、アルバイト、派遣と、仕事を転々とするなか、介護という仕事、同時期に発見会とも出会い、やっと自分の居場所が見つかりました。
    今は認知症の母の介護もしています。

  • パニック障害

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    あきらめは始まり(T.Kさん/女性)

    10年前から辛い不安神経症を抱えた私が森田療法と集談会に出会って2年。
    症状にとらわれながらも神経症を自分の頭で考え、あきらめながらも嫌な気持ちを嫌なまま受け止めている自分に変われました。
    これからも森田の学びを深めていくことは、生き甲斐につながります。
    価値観の変わりはじめたこれからの人生が楽しみです。

    パニック障害だった私が“運のいい人生”と思えるまで(T.Sさん/男性/66歳/元小学校教師)

    パニック障害を発症したのは、教師生活12年目の春でした。
    多くの課題を抱えた学級への対応に悪戦苦闘していたある日の早朝、学校に向かう途中、急に心臓の動悸が気になりはじめたのです。何とも言えない恐怖感・不安感が襲い、過呼吸に陥り、「死の恐怖」を味わいました。
    以来30数年、森田療法理論の学習と継続して集談会に参加し続けた結果、薄紙をはぐように、自分への自信をとりもどしていきました。

    出会いはパニック障害からの回復への第一歩(川上万里子さん/51歳/主婦)

    45歳で新しい仕事の依頼を受けたところ、1週間目にパニック発作をおこしました。いつも緊張し、小さなきっかけでパニックに。押し寄せるどうしようもない空虚感、深い淵にかろうじて浮かんでいるような不安と身の置き所の無さ、強い孤独感。自分には生きている価値がないとも思いました。インターネットで森田療法を実施しているクリニックをみつけ、なんとか自分を立て直したくて生活の発見会に入会。集談会は初めてのときから不安や緊張がほとんどなく、ありのままの自分を出して受け入れられることで、安心できました。先輩たちの体験を聞き今の様子をみて、自分も立ち直れるという希望を持ちました。

  • 強迫症(確認恐怖)

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    確認恐怖でも夢をはたせた!(N.Hさん/女性/49才/会社員)

    私は、何回も確認しないと安心できない、人を巻き込むタイプです。
    発見会に入会し生泉会に出席するようになり「我慢しなくてよい。五感を使って確認しなさい」と教わり、本当に救われました。
    今は症状を持ちながらでも夢をはたせたし、少しは自分を客観視できるようになり、生活に充実感と幸せを感じています。

    確認行為、強迫観念の泥沼を抜け出て(N.Kさん/女性/45歳/団体職員)

    中学生のころからつらく苦しい日々でした。
    生活の発見会に入会後結婚するも、子どもが少し大きくなったころ再発しました。
    しかし発見誌を読み、集談会、生泉会に出席をしていくうちに、嫌な気持ちも排除せず、その気持ちを抱えながら、ただ、淡々と目の前のやるべきことをなす、を学びました。廃人同様だった私が、救われたのです。

  • 乗物恐怖・水恐怖

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    水恐怖に悩まされて(K.Iさん/53歳/主婦)

    私の症状は強迫神経症で、強く悩まされたのは水恐怖です。お茶を飲もうとしたとき、突然の違和感とともに液体そのものに恐怖を感じ、すべての水と液体状のものが怖くなりました。カウンセラーに「生活の発見会へ行ってみたら。いくつか参加してみると自分に合うところが見つかるでしょう」とすすめられました。入会し、はじめて集談会に出席したとき、私の話をじっと聞いたあと「苦しかったね」といってくれたのです。悩みを共感してくれる人がいるのだと、驚きとともにうれしい気持ちでした。自分一人ではなかったと、そう強く感じました。

    私が体験した「あるがまま」(Oさん/40代/会社員)

    コミュニケーション障害に悩み、パニック障害、乗物恐怖の症状を経験しました。「良くなるなんてありえない」そんな時、生活の発見会で同じ症状の会員に出会い、森田療法を知り「思い込みによる脳の誤作動」「不安のからくり」「脳で起こっている事と自分とは別」という知的理解に出会いました。「治らずして治る」不安や症状を取り除こうとしないその取り組み方が私の求めているものに近いと感じました。どうにかなってしまいそうな感情が湧き上がってこようとも人は決してダメになるような存在ではない、その先には恐怖からの解放がある、そう信じています。また症状を治すことだけでなく、症状を抱えながら日常生活を充実させていくことも良くなるための大切なことだと思っています。

  • 不潔恐怖

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    不完全恐怖からの脱出(強迫神経症-不潔恐怖)(A.Kさん/主婦)

    亭主関白の夫に小言を言われまいと、一生懸命になればなるほど気になり、不潔恐怖になりました。
    極限状態のある日、新聞記事で「森田療法」と「生活の発見会」を知り、藁をもつかむ思いで入会、とにかく動こうをモットーに、仕事に手を出し始めました。
    今はなんとか普通の主婦の仕事をこなし、発見会活動もしています。

  • 疾病恐怖

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    森田に出会えて(疾病恐怖と出世恐怖)(K.I さん/男性/会社員)

    受験時の確認恐怖、雑念恐怖や社会人になってからの疾病恐怖、出世恐怖は森田療法(理論)に偶然に出会って、それぞれの症状の原因は同じ「人間性の無知」から生じるものだということが理解できました。
    森田療法は単に症状の克服だけにとどまらず生涯を通じての羅針盤のように思えます。

    神経症でも社長になれた(Y.Tさん/男性/会社役員)

    高校1年の時、疾病恐怖になり大学受験は失敗、工業短大に入学。
    35歳の時、ソフト会社を創業したが生活が激変し、症状が再発。
    その時、森田療法関係図書に出会い「発見会」を知り集談会に参加、1年位して症状はなくなりました。
    発見会では症状が問題ではなく、人間的に未熟なことが原因であることを学習しました。
    お陰で35年間会社を続けられています。

  • 書痙(手の震え)

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    「あるがままのわたし」を受け入れて(瀬戸口絹子さん/54歳/会社員)

    お茶出し時に上司から「手が震えている」と指摘され、それにとらわれ身動きができなくなり、やむなく仕事を辞めました。不安と恐怖に怯(おび)えている時、森田療法と生活の発見会を知り初心者懇談会に出席し、書痙の方に面談をしていただき「わかります、つらかったですね」と共感されひとりではないと安堵を感じました。「人からできると思われたい…だから震える自分が許せない」そんな間違ったものの見方が「とらわれ」となったと気づき、「かくあるべし」を一枚ずつ剥(は)がし、こころが解放されていきました。

  • 抑うつ

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    二度のうつを乗り越えて(D.Yさん/男性/40代/教員)

    教員の私はうつ病の診断を受け、2度の休職、復職を経て、教員生活ももうすぐ20年目を迎えようとしています。
    2度目の休職の際、森田療法、生活の発見会と出会いました。
    そして、森田療法、集談会の仲間から力をもらい、教員としての試練を乗り越えています。

    人生・ひといろいろ(H.Sさん/男性/42歳/会社員)

    私はもともと人とコミュニケーションをとるのが苦手でした。
    あるとき、職場で上司から頭ごなしに叱責され、うつがひどくなっていきました。
    いったん回復したものの、職場でも、家族にも言えない思いを受け止めてくれる場所を探し、発見会を知りました。
    今は集談会に出席するなか、少しずつ自分が変わってきている実感があります。