体験記一覧[乗物恐怖・水恐怖]

水恐怖に悩まされて(K・Iさん・53歳・主婦)

私の症状は強迫神経症で、強く悩まされたのは水恐怖です。確認や不潔や縁起恐怖などのうえに強迫行為もあります。

はじまりは、食事をしていてお茶を飲もうとしたとき、なぜか突然の違和感とともに液体そのものに恐怖を感じたのです。以来、すべての水と液体状のものが怖くなりました。1滴の水にもおびえていました。かといって主婦ですから、炊事をしなければならずほとほと困りました。水が怖くて、ふるえながら料理をつくるありさまでした。したがって3、4か月は、郷里から母を呼んで炊事をしてもらう状態にまでなってしまいました。

いくつかの医療機関で診てもらいましたが、納得できるような方策は得られませんでした。それにしても、なぜ水恐怖になったのでしょう。考えてみても、これといって思いあたるような経験はありません。

森田療法のことは、症状が出たころから知っていました。はじめに、心理療法として森田カウンセリングを行っているところで指導を受けていましたが、そこでは理論学習をすることはありませんでした。

2年近く前のことです。真夜中に突然強い恐怖感に襲われて、じっとしていられなくなりました。それまでは少しは恐怖感が治まっていたのに「また前のように激しくなるのではないか、どうしよう……」と恐れたのです。このままでは、どうにかなりそうな気持ちです。ですから夜中にもかかわらず、コンビニまでマンガ本を買いに行きました。そのときはとっさに思いつくものがなく、何とか気持ちを落ち着かせようとしたのです。自転車でコンビニまで行ったのですが、不安感は走る自転車のスピードに合わせて、どこまでもついてきます。行って帰ってくる間、ただただ不安と恐怖でいっぱいで、そのあとも朝まで一睡もできませんでした。

翌日、森田療法を行っている病院へ電話をして、窮状を訴えて診察予約をとりました。ときに通院をしていた病院です。診察の日までは10日間ほどありましたが、どうにか家で過ごしました。この間も症状に追いかけられているような生活でした。顔を洗って歯をみがく、そして炊事をして……水恐怖の私には、怖いことばかりでした。

予約の日に病院へ行きますと、面談の上で入院をすすめられました。これできっと、よくなるのだと安心したものです。最初は20日間ということでしたが、43日間の入院生活になりました。絶対臥(が)褥(じょく)のときは昼夜の5日間、じっと横になって寝ています。すると子どものことが気になり、申しわけない気持ちも手伝って、涙が止まらないこともありました。臥褥から起きると庭の観察をするのですが、1日中、土の上をはいまわる「アリ」ばかり観ていました。ですから夜眠るときに目を閉じると、どうしても「アリ」の行列が見えてくるのです。虫のきらいな女性は多いと思いますが、私も身震いが起こるくらいイヤでした。そんな心理状態がずっと続いていたので、退院することにしました。当時の私の状態には入院療法は合っていなかったように思います。

家に帰ってからも、やはり症状が波のように襲ってきます。夜中にふと目を覚ますと、はげしい恐怖感が起こります。全身からさっと血の気が引いていくような怖さです。こんな状態が毎日続くのなら、もう私はダメだと思いました。

はじめて集談会に参加して

生活の発見会という自助グループがあることは、森田療法を紹介した新聞記事ので知りました。そのころはまだ生活の発見会についてはよく知らなかったのですが、思い切って本部に電話をして、関西にも集談会があることを教えてもらいました。

まず、連絡先になっていたかたに電話をかけました。症状を話して、カウンセリングを希望していることを伝えたところ、ある先生を紹介していただきました。その先生のところで「生活の発見会へ行ってみたらよい」とすすめられました。「集談会は全国にあるから、いくつか参加してみると自分によく合うところが見つかるでしょう」とのことでした。

さっそく生活の発見会に入会して、集談会に行ってみることにしました。入会翌月、最初に集談会に出席したときのことです。そのころは、症状の鎧(よろい)を重ね着しているような心境でした。これから何をどうすればよいのかもわかりませんでした。しかし、このつらい毎日が何とかなるものなら治したい!そんな気持ちでいっぱい、一生懸命でした。

その日の集談会では個人相談を受けました。担当のかたがとりとめのない話をじっと聞いたあと、私を見て「苦しかったね」といってくれたのです。この時は私のやっかいな話を聞いて、自分のことのように思ってくれる人がいるのだと、驚きとともにうれしい気持ちでした。重い鎧が一つ取れたように思いました。何よりも集談会に参加することで、自分一人ではなかったと、そう強く感じたものです。

しかし、すぐに症状がよくなっていったわけではありません。症状を取ろう、早く安心して楽になりたいと、そんな努力をしてしまう習慣はあいかわらずでした。たとえば、集談会に参加するときは、化粧もせずマスクをつけたままの出席です。それは化粧をすると、風呂に入ったときに顔を洗う時間が長くなるので、化粧ができないからです。また、顔を洗ったりシャンプーするときの手の動きを、右が何回、左が何回と確認しながらやっていたのです。

気分本位から目的本位へ

集談会でまだ自分の症状ばかりを訴えていたときに、支部委員さんから「できたことを認めていきましょう」とアドバイスをもらいました。それでも、なかなかできたことを認められず、自分なりにどうしたらいいのかを考えました。今まで自分の思いや症状を優先した結果、とらわれてしまったにちがいない。それならば、人の言うことも聞いてみよう、とはじめて思ったのです。

私の場合は、できたことを声を出して言うことにしました。つまり、風呂からあがったとすると、風呂に入っているよりも緊張して汗びっしょりになります。そこで緊張や汗に注目するよりも「やったあ!ちゃんと風呂にもはいれてる。とらわれながらもやれた。あー、気持ちよかった」と声を出して言うのです。そうやっているうちに「あれ、やれてるやん」と心の底から思い、喜びもこみあげてくるのです。症状がきつく強かった分、世界が変わったように感じて素直にうれしかった……。

といっても、それからも症状は出たりひっこんだりで、まるで「もぐらたたき」状態が続きます。けれども、自分のやりやすいところから少しずつやっていると、スムーズには行かなくとも、前よりは行動ができるようになっていきました。

それまでは、観たい映画も観られなかったのです。映画館に入ったら、息が自由にできなくなりそうで怖くて行けません。それに水のシーンなどが登場すると、水恐怖と結びついて映画鑑賞どころではなくなります。しかし今なら実行できるかもしれないと、観たいと思う気持ちに従って行ってみることにしました。もし途中で恐怖に襲われたら「観るのをやめてもいいや」と考えて、嫌いなシーンもドキドキしながら観ました。観終わると、恐怖感と満足感は4対6でした。やれば何とかできるんだなあ、と達成感を味わいました。

家事をすること、風呂にはいることにしても、かつてはどうするかを症状と相談していたのです。ところがいやいや仕方なしにやっていくと、いつとはなしに気分本位の態度から、目的本位の態度へと変わっていきました。山中和己先生が「ものごとは、やむをえず仕方なしにやっていってください」とよく言われています。さらに「つねに森田に学びつつ生活を続けていくことが、何よりも肝心です。森田を深めていくこと、そこには副作用もありませんからね」とも。

昨年は、大阪基準型学習会にも参加しました。今年は、この大阪学習会の世話役の一人をさせていただいております。私の森田道は今はじまったばかりです。今後も、何かとひっかかるでしょう。けれども、これからも集談会などで学びながら、どうにかやって行けそうです。

私が体験した「あるがまま」(Oさん・40代・会社員)

パニック障害・乗物恐怖における「あるがまま」

学生時代から人と上手くコミュニケーションがとれないことに悩んできました。社会に出てから顕著になり、20代後半の時に勤めていた職場で自己否定に拍手がかかり、自分に対して絶望した時に精神がおかしくなりました。

最初の症状はパニック障害で、極度の不安や恐怖感、胸を突き破るような激しい動悸が朝方まで続く、呼吸が極端に浅くなるなどでした。職場は休職し、自分の症状を言葉にしたり、他の人の症状の話を聞くのも困難で、電車や狭い空間も耐えがたく、初めて初心者懇談会を訪れたとき、始まってまもなく部屋から飛び出してしまいました。「良くなるなんてありえない」そんな思いしか持てませんでした。

転機となったのは、生活の発見会の集談会で同じ体験者の存在を知ったことでした。ついで不安神経症などに対して、「思い込みによる脳の誤作動」「不安のからくり」「脳で起こっている事と自分とは別」という知的理解に出会ったことでした。森田療法に出会い「治らずして治る」「感情の法則」などを目にして、不安や症状を取り除こうとしないその取り組み方が私の求めているものに近いなというのを感じました。

乗物恐怖については、電車の扉が閉まったとたん不安がよぎる「またああなったらどうしよう」と思った瞬間足元からジワッと自分がおかしくなってしまいそうな恐怖につつまれる感覚。それに対して頭ではさらに恐怖を感じ、その感情がさらにも増してくる。自分がおかしくなってしまいそうなこの恐怖は一体何なのだろう、どうすれば解決できるのか、これが当時の一番の疑問でした。

その後、森田療法やマインドフルネス認知療法に触れ、思いや感情は湧いては消えていく性質のものであること、またそれに対してどう変化していくか観察する視点をもつことを知り、これは大きなヒントになりました。もがいたり押しのけようと抵抗したりするのではなく、体全体で感じていくこと、「コントロールしたいという欲求を放棄する」状態がポイントということにも関心が向きました。恐怖やなんとも嫌な耐えがたい感覚のままいる、それを感じていく。

これを実践するならば、まず嫌な感覚が湧いてきた時身体の力を抜く。すると恐怖が体の中から一気に湧き上がって、体の全細胞が恐怖・不安に飲み込まれる感覚になります。逃げることも一つの立派な選択だと思いますが、逃げ口がない状況の時、どんな思いでどんな信念でその恐怖と共にいることができるのか、そこにパニック障害や乗物恐怖からの解放の鍵があるのだと思います。

森田正馬先生はじめ、この状況をくぐり抜けた体験者の言葉を以下にあげました。

  • ●「電車の中で不安になる、恐怖のために今にも心を取り乱しそうになる、それが即ちそのままでその時と場合における平常心である。そのままで良い、ただ発作の時はじっと耐えて必死になって恐れていれば良い。その苦痛に見入り心をその方に集中していわゆるなりきるというふうになれば良いのである」
  • ●「辛抱するコツですが私の場合、私をこの世に生み出した殺生せいさつ与奪よだつの権限をお持ちの大いなるお方に『私の命はあなた様に預けますどうぞよろしいようになさってください』と祈り続けて耐えるのです」「不安が起きたら体感実験の場を与えられたと対応しましょう」
  • ●「一定の時間を経過すると不安や動悸や震えはすーっと消えてしまいます。私の場合体中から突きものがストンと落ち何とも言えぬ爽やかな気分を味わいました。このように体で知る、すなわち体感することが大切なのです。体感が意識の変革をもたらします」

自分の中にどんなものが湧き上がってこようとも人は決してダメになるような存在ではない、自分がどうにかなってしまいそうなその先には恐怖からの解放がある、そう信じています。一方で、症状を治すことだけでなく、症状を抱えながら日常生活を充実させていくことも良くなるための大切なことだと思っています。

パニック障害・乗物恐怖における「あるがまま」

当時、私はコールセンターでお客様対応の仕事をしていました。お客様、従業員とのやりとりで徐々に頭が緊張して自然体でいられなくなってくる、そのぎこちなさが空気を壊し気味になる、焦って頭の緊張状態が増し、表情がこわばり、自分の声も出なく、思考不能になる。こんな傾向がありました。自分が発した言葉が塊になって相手にぶつけてしまう感覚。私の目がヤリのように相手を突っついてしまう感覚。自分が話した瞬間、空気を壊してしまいそうな感覚。そして、この状態でいることを許せない自分が出てきます。しかしその空気に調子を合わせたり、ちょっとにこやかにいるということすらもできる状態ではありません。

この緊張状態が続くとさらに頭と心のバランスが崩れていき、頭が重く心が疲弊、心が無くなったような感覚になっていきます。だから休日の時には、心が良いバランスに戻ることを大事にしていました。私らしく自然体でいられること、例えば在宅サービスのボランティアだったり、文通だったり。相手のことを考えながら夢中で取り組めることを大事にしていました。また自然体でいられる人との交わりもとても大切なことであると感じました。「自分が自分らしくいられ、心が喜び、自分にも人にも優しい気持ちになれる」、そんな環境や行動を求めていくことは心から大事にしていきたいと思っています。

転機となったもの

心の奥では「電車に乗れないのはダメなことだ」「人と上手くコミュニケーションがとれないのはおかしい」そんな観念が余計に自分を追い込んでいました。

そんな中で心に響いたメッセージがありました。

  • ●『私たちは宇宙の中に存在し見えざる力で守られています。スピリットをもてば、つらい苦しいと思っていたことも、今受けている試練は自分が立ち上がるためのチャンスなのだと思えてくるのです』(聖路加国際病院、日野原重明氏)
  • ●『思い通りにならないことこそがこの世界が持つ最高の価値。思い通りにならないからこそ、時折出会うことができる「願いが叶うという喜び」をいかに正しく味わって感謝するかということを、日々の中で学んでいるのではないでしょうか』(元福島大学教授の飯田史彦氏、『生きがいの創造』)

後者の著書は、表面的には失敗・不運のように見えても、自分の人生は「順調」なのだなと気づかせてくれるようなものでした。

次第に、たとえ電車に乗れても乗れなくてもどこまでできるか挑戦してみよう、もし乗れなくても挑戦しようとしている今が一番輝いている瞬間なのかもしれない。また、人とのコミュニケーションの感覚が掴めず誤解されても、この状況こそがどんな気持ちでどう対応するかに取り組めるチャンスなのかもしれない、そんな思いを抱くようになっていきました。そして、たとえ結果は伴わなくても、できるところまで努めた自分に対して自然と心の中で評価がされていくようになりました。

二つ目は在宅サービスのボランティアでした。誰かの役に立てるということは、新鮮で心が生き還っていくような感覚でした。話しを聞く時は自然体でいられる、できないことに気持ちを向けてばかりいるより、得意と思うことに力を入れるのが大切なことなのかもしれない。そう意識も変わっていきました。

三つ目は寝る前にうれしかったこと、ありがたかったことの日記を書くようになったことです。日常のささやかな喜びに気づいていくと、うれしかったこと、ありがたかったことが不思議と次々にやってきました。

四つ目は、症状で苦しいときこそ「いつか同じように苦しんでいる人と出会った時に、良い情報を分かち合えるためにも、今を模索しながら進んでいこう」と誰かのためにという気持ちを持つこと。これも現実を後押ししてくれた大きな一つでした。

生活の発見会の集談会に来て、同じような状況で悩んでいる人に出会った時、ありのままの自分を肯定できたような不思議な感動を覚えました。また、悩みは違ってもありのままの自分を迎え入れてくれる、そんな方々の存在に助けられてきました。