体験記一覧(パニック症/不安神経症)

あきらめは、はじまり(T・Kさん・女性)

不安神経症の辛い状態に陥って、一人ではどうしようもなかった。自分の力だけではどうにもならなかった。森田療法に出会ってから今月(平成27年2月)で丸2年が経ち、多数の方々の援助をいただき、困難を乗り越えることができました。それらを懐かしむような心境にはまだないけれど、その間に体験し感じたことを正直に書いてみたいと思います。

第1の援助 夫

平成25年の終わりに、見知らぬ土地に引っ越しました。子供のいない気軽さと、夫婦ともに自己実現をしたい強い欲求を持っていたため、年齢を考え(夫39歳、私49歳)最後のチャレンジという気概がありました。
私は10年前、パニック発作を伴う不安神経症の恐怖症という診断を受け、公共の乗り物や閉ざされた空間での恐怖感を、薬物療法で乗り越えていました。今回の引っ越しを機に再び不安発作が顔を出し、居ても立ってもいられない強烈な違和感や逃げ出したい恐怖にたびたび襲われるようになりました。
完全に薬を切るまで7年もかかった経験から、再び精神科を探して薬物療法を始めることをためらいました。とらわれから離れることができずに、何かにつけて恐怖に結びついてしまいました。自分の心や身体の状態のささいな変化を見ることにエネルギーを注ぎ続け、おびえることしかできませんでした。
2月の半ば、夫がインターネットで森田療法と集談会を調べ、私に勧めてくれました。夫は知っていたようですが、私は初めて耳にする言葉でした。森田先生との出会いにつなげてくれたことを、私は一生夫に感謝します。

第2の援助 集談会の先輩方々

夫の車で送迎してもらい、初心者懇談会におそるおそる参加しました。治りたい一心で出口に近い席についた私のその時の本心は、「ああ、ついにこんな所まで来てしまった」という差別的で傲慢なものでした。世話人の方々や幹事の方が、代わる代わる声をかけて下さり、話を聞いて下さって、「よく解りますよ。大丈夫、治ります」と笑顔で言ってくれました。その時手渡された「森田理論学習の要点」の内容と、話された講義に深く納得しました。
「神経症の成り立ち」は、自分のこれまでの人生を言われているかのようでした。表面上、明るく楽観的に生きてきた反面、決して取れない重りのような死の恐怖や空虚感、蓋をして閉じ込めていたものに、初めて光が当てられたと感じました。得体の知れないオバケのような存在だった神経症というものが、自分の頭で考えること、自分の語彙で対応できたという安心感から、帰り道は症状もなくなり久しぶりに楽しい心地を味わいました。
1ヶ月後を待てずに、いくつかの集談会に参加しました。とにかく早く治りたくて、症状をとりたくて必死でしたが、ただ受け身的な対応でした。仕事の方は、経験のある仕事を2~3時間から始めました。3カ月程で症状の出る間隔が長くなり、「治った」と錯覚をする。まだまだ神経症のからくりも、治るということも全く解っていませんでした。

第3の援助 森田療法実践医のドクター

6月の終わりから 7月の終わりまで症状と予期不安にとらわれ続け、再びはがれなくなりました。消化不良は毎日で通勤途中でもトイレに駆け込み、仕事中会話をしながらも発作に苦しみ、呼吸困難感にも苦しみました。
そんな毎日を送り、3週間たったところで今回はもう限界だと思いました。仕事を辞めるか医者に行くしかないと思い、医者に行き話をして薬を出してもらい飲みました。
集談会でも相談すると、「薬は杖と思い、杖をついてでも前へ。今はそういう時期」とアドバイスしていただきました。薬を3カ月飲み、半年間通院しました。森田の勉強で軽快に向かった後の大きな揺り戻しの落ち込みを5ヶ月経験したのち、日記指導により救っていただきました。
私は相談できる集談会という場があり、また日記指導の中で、赤ペンで短く「よし」と肯定して下さったドクターに出会えて本当にラッキーでした。と同時に、この頃から「もう治らないんだ」と思い始めもしました。なかなか受容まではいかず、残念な悲しい気持ちで一杯でした。それから先を一言でいえば、耐えに耐えた1年間でした。森田に対する期待が大きすぎたのかとも思いましたが、一方、辛い時に自分で乗り越える力を身につけたい、症状だけを目の敵にするのではなく、物事を全体でとらえ日々無事に過ごす方が大事、自分の人生をもっと真剣に考えようなど、本当に当たり前のことを思いました。
通勤時ハンドルを持つ手が震えても、全身が緊張して昼食がとれなくても、何とかこらえて夕方まで仕事をし、帰りの車中で何度も涙を流しました。日曜日の集談会や初心者懇談会が拠り所でした。「症状を治すことをやめよ」と言われても、「自分も自然の一部であり、あるがままでいるしかない」と言われても、頭での理解を越える日はなかなか訪れませんでした。
3月で医者通いも卒業しました。「日常の一瞬一瞬を大事に生きてゆけば、おのずと道は開けます。心は、いずれ勝手に回復していきます。焦ることはないよ」と、ドクターは相変わらず笑っていました。通院時、数回地下鉄やバスに乗り、「あまりに怖くて薬を飲むのを忘れました」と報告している自分は、さすがに本気でおかしかったです。

第4の援助 基準型学習会で指導していただいた先生方と仲間の皆さま

何をしていても日々は過ぎてゆくのですね。時に自然に笑っている自分を静かに感じることもできるようになってきました。治りたくて、 治りたくて、もうこれでと思っても変わらない自分とずっと戦っているうちに、「あきらめ」 が熟成していったようです。
初心者懇談会で世話人としてもお手伝いさせていただく中で、こんな状態の自分でも他者支援をしてみたいという欲望を感じ、改めて欲望は元気の源であり不安とセットなのだと思いました。
「基準型学習会」に9月から参加しました。忙しい毎日で 睡眠時間を削って理論学習をし、森田の本を読み、生活日記と学習日記を書きました。私の場合は学習日記が効いたようで、解っていたつもりの理論が毎日の勉強によって身体に入ってきました。嫌な気持ちを嫌なまま受け止めている自分、そんな単純な事が日常生活の中でチラチラと見え始め、恐れに対する恐れが減りました。すっきりした訳ではありません。症状は時に出て嫌だけれど、このまま生活を続けていけそうだと思いました。
基準型学習会は私にとって大きな転機となり、その時々のさまざまな感情をそのまま受け入れられるようになってきました。
そして2年前と同様、親の介護のため再び仕事を辞め、平成 27年1月終わりに、暮したことのない新しい土地に引っ越してきました。不安や恐れはあり、それはそれで流れていっています。

第5の援助 友人たちと職場の皆さま

友だちや職場の仲間の人たちは、いつも変わらず気にかけ励ましてくれ、治ることを信じ続けてくれました。ありがたいことです。常に常に。最後に、森田を学び始めて2年。これから学びを深めていくことは、生き甲斐につながります。価値観の変わりはじめたこれからの人生が楽しみです。あえて過去を探ることはせず、不安や恐怖の原因探しはやめました。
名古屋でお世話になった皆々様には、言葉では言いつくせないほど感謝しています。私の魂を救っていただき、ありがとうございました。

パニック障害だった私が、〝運のいい人生〟と思えるまで
(T・Sさん・男性・68歳・元教員)

パニック障害を発症したのは、教師になって12年目の春です。
ある日の早朝、仕事先に向かって車を運転していたところ、急に心臓の動悸が気になりはじめました。目の前が真っ暗になり、何とも言えない「死の恐怖」が覆いかぶさってきました。車のなかで、じっと耐え、動悸が収まったころ、すぐに隣町の心臓外科病院に行きました。そして検査をした結果、心臓には異常なしでした。

ホッとしたものの、「また動悸が起きたらどうしよう」という恐怖感、不安感が頭から離れなくなりました。それも落ち着いたと思ったのもつかの間、過呼吸に陥り、すぐさま、救急車で病院に搬送されました。しかし今度は、症状は病院でも収まりませんでした。

いよいよ窮地に追い込まれた私は、遠方の、実家近くに住む姉を頼りました。姉に付き添われ、精神科の病院を受診してはじめて、不安神経症(心臓神経症)と病名がついたのです。得体の知れない症状に名前がつき、言いようのない安堵感を感じました。

発症して2年、症状への不安を抱え、びくびくしながらの生活が続いていた夏、ふと立ち寄った本屋で『心配症をなおす本』(青木薫久著・KKベストセラーズ)を目にしました。「同じ悩みを持ち、克服した人がいる!」悶々とした気持ちに一筋の光が差し込んできたのです。巻末の「生活の発見会」の紹介で、発見会本部に電話をし、近くでK集談会が開催されるのを知りました。そして藁にもすがる思いで参加しました。

集談会に参加、森田療法を学習するようになったからといって、すぐ良くなるわけではありません。他の人の症状に影響され、苦しんだこともありました。それでも継続して参加し、学習するうちに、今まで雲をつかむようにモヤモヤとし、つかみどころのなかった神経質症の正体がわかりはじめ、神経質症を克服するにはこの「森田理論」の実践しかないことを確信しました。

そんななか、5年生の担任を任されました。5年生には林間学校があり、心臓神経症のど真ん中にいる私にとって、登山は地獄の行程です。固辞しても受け入れられませんでした。

林間学校の当日、「清水の舞台から飛び降りる覚悟」で、引率の仕事につきました。
登山がはじまりました。心臓の鼓動が徐々に高まります。そんなとき、私のクラスの2人の児童が迷子になった、という連絡が入ったのです。するとどうでしょう。私の頭のなかは、迷子になった児童たちの安否のことでいっぱいになってしまいました。その後、校長からの適切な指示にしたがい、私は迷子の児童たちを気遣いながらも、無事引率登山を終えられました。

この体験をとおして、あんなに心臓のことが気になっていた登山前半の私の不安(感情)が、児童たちの安否という新たな不安(教師としての本来の不安)に、自然に移行していたのに気がついたのです。また、あれほど心臓の鼓動が高まっていても、発作が起きなかったことで、心臓そのものには異常がないのを改めて確信しました。森田理論でいう事実唯真です。

以来30年、症状の克服には「不安があっても、思い切ってやってみる」「体験を重ね、〝できた〟ことを意識的に脳裏にインプットし、自信につなげる」「症状のことで〝グチ〟を言わない」などなど、いくつかポイントがあると思います。

森田は、生きる上での大きな羅針盤です。自分の人生を振り返り〝運のいい人生〟とつくづく思います。両親、兄弟、妻や2人の子どもたち、友人、集談会の仲間……大勢の力添えのおかげです。本当にありがとうございます。