体験記一覧(抑うつ、不安症)

二度のうつを乗り越えて(D・Yさん・40代・教員)

教師となって10年目に最初の休職をしました。特進クラスの担任を任されたのですが、指導困難な生徒が複数おり、9月ごろから精神的に余裕のない日々を送るようになりました。11月に入って、一人ではもう我慢の限界になり、精神科のクリニックを受診、うつ病と診断されました。このときは2カ月休職し、復職しました。

以降3年間は担任を外してもらいました。このころ、うつについていろいろと調べていたなかで、「森田療法」ということばを、通っていたカウンセリングルームではじめて聞きました。今私が所属しているN集談会を紹介され、1度は参加しましたが、森田療法に関する予備知識もなく、継続はしませんでした。

2回目の休職は、担任がなかった3年間をへて、翌4月から、1年生の担任を持ったときです。
自信がないまま新学期を迎え、4月早々、クラスでトラブルが起こり、乗り切れませんでした。うつがぶり返し、2回目の休職となりました。

休職も2回目となると、さすがに崖っぷちに立たされた感になります。鍼灸やスポーツクラブ、カウンセリングに通いつつ、集談会にも毎回行くようになりました。最初は足が重かったのが、しだいに月に1回の集談会の場が、仕事や家庭の悩みから一時でもホッとできる、かけがえのない場になっていきました。

7月に職場復帰し、2、3学期はまさに針のムシロでした。集談会でのアドバイスや、森田のことばを思い出し、とにかく目の前のできることだけをがむしゃらにやる、できないことはできないという気持ちでやりました。

休職して4年目の4月から、2度目の担任復帰となりました。校長先生と相談のうえ、これまでで一番経験のある3年生の担任にしてもらいました。当然ながら、周囲にはかなり不安を与えていました。

このとき、「目的本位」「外相整えば内相自ずから熟す」そして「健康人のような生活をしていれば健康になる」などの森田のことばを支えに日々を過ごしていきました。
もう2度白旗を挙げているので怖いものはありません。月に1回の集談会にはほぼ休まずに出席したのも、1年間続けられた大きな要因だと思います。このころにはかなりうつ症状は良くなっていましたが、症状が消えたとしても、集談会に出席し続け、森田の勉強を続けることが、再発を防ぎ、よりよく生活していくために必要なことだと思いました。

そしてさらに大きな試練を迎えました。翌年も3年生を任せられていましたが、11月になるとしんどさがピークになり、「休職」の文字がちらつきはじめました。

主治医は休職を勧めてくれました。しかし集談会で話すと意外なことに、「ここで逃げると、今後もっとしんどくなる」と言われたのです。

私は悩みに悩みました。そして、休職するのはいったん延ばし、一日、一日を乗り切ることに集中していきました。気がついてみたら、休職することなく卒業式を迎えることができていたのです。もしそこで白旗を挙げていたら、きっと「踏ん張りきれなかった」という嫌な記憶だけが残っていたでしょう。集談会で話したときは「どうして賛同してくれないのか」と思いましたが、今となっては、あのとき耐えしのげて本当に良かったと思っています。この先長い教員生活を続けていくなかで、きっと困難な局面にも出会うこともありますが、このとき乗り切れた体験は、大きな自信になると思います。

集談会に出席するようになり何年もたちますが、まだまだ勉強不足だと思っています。職場と家庭の他に、もう一つの寄る辺として、この集談会での出会いや森田療法の学びを大切にし、充実した日々を送りたいと思います。

人生・ひといろいろ(H・Sさん・男性・42歳・会社員)

うつの発症

対人恐怖や心配性を強く意識したのは、札幌で専門学校に入学したころからです。まわりの人が怖くなり、人に何か言われるのではと、予期不安も感じるようになりました。

専門学校を卒業し、やっと就職したものの、失敗するのでは、の予期不安が強く、2年で退職、運よく、地元の求人募集で入社できたのが、現在の会社です。

症状が再発したのは、転勤でT市に移ったあと、直属の上司が異動し、私がその仕事を引き継ぐことになってからでした。何か起きたとき、どうすればよいのだろうと、すっかり予期不安にとらわれてしまいました。そのときは、心療内科に通い、薬物療法と対話療法で、なんとか回復できました。

うつを発症したのは、札幌の本店に転勤し、新しい仕事を任されていたときです。業務上の事故処理に当たった際、私の事故処理方法が悪いと、身近な役員から頭ごなしに叱責されてしまったのです。自分なりにやったつもりでしたので、非常なショックでした。何日も自分を責める日が続きました。休みをとっても、からだと心のバランスは戻らず、はじめて1カ月の入院治療を受けました。

当時の私は「何もやる気がなく、すべて放り出したい」と思う一方、結婚したばかりで「早く治して妻と新婚生活を送りたい」という生きる欲望もありました。不安でしたが、妻がいたからこそ、あの難関を乗り越えられたと思っています。また、このときの患者同士、話を聞いてもらったり、聞き役になったりの経験が、のちの発見会への参加につながりました。

職場復帰と生活の発見会との出会い

1カ月間の入院生活を終え、会社に復帰しましたが、そのときの上司との関係が新たな行き詰まりの要因となりました。上司はせっかちな人で、毎月、「回復率は?」と聞くのです。私はもう言われたくないと、「ほぼ満点に近いです」と答えてしまいました。

少しずつ仕事量がふえ、さらに業務の変更を命じられました。そのうえ、家でも、子どもがほしくなる頃でした。仕事も家庭もうまくいかないと自分を責めました。そして会社帰りの駅ホームから飛び降り自殺を試みてしまったのです。今度は自分を責めるのは一生治らないものだと、さら自分を責める始末でした。

そんなとき、会社のメンタル相談で生活の発見会を知りました。そこでネットで調べ、思い切って札幌の初心者懇談会に参加してみたのです。

当日、緊張のあまり、頭のなかは真っ白の私を、懇談会は温かく迎えてくれました。会社の人に言えない、妻にもこれ以上迷惑をかけられないときに、理解してもらえ、つらさを共感してもらえて、とても嬉しかったです。

初心者懇談会に3回出席したのち、集談会に転籍となりました。集談会には仕事や子育てで忙しいとき以外は出席し、諸先輩がたのアドバイスや発見誌などにアンダーラインを引き、まるで学生に戻った感じでした。

2年後にO市に転勤となりましたが、O市にも集談会があり、相談できる場となりました。集談会では、豊富な人生経験があるかたがいて、子育て、仕事、人生相談など、多種多様に相談に乗ってもらえ、心強いです。

ひとりで発見誌や森田の本などを読んでも限界があります。集談会で自分だけじゃない、こういう考え方があるんだと皆さんの話を聞くことが、すごくためになります。今は、何事も急ぎすぎた点を見直し、とにかくゆっくりと行動に移すよう、日々努力が必要と考えています。

現在も「抑うつ」と診断され、通院はしていますが、自分が変わっていくためにも、集談会に参加し続けたいと思います。