体験記一覧(病気不安症/普通神経症)

森田に出会えて(K・Iさん・男性・会社員)

第1の危機<森田に出会う前の地獄のような雑念/読書恐怖>

高校時代は、大学受験に向けよく勉強しました。ところが、受験まで3ヶ月に迫った頃、完璧に理解するぞと気合いを入れた頃から、参考書を読む時、完全に理解できたかどうか、その都度確認するようになり1ページ読むのに30分も1時間もかかるようになりました。100%の集中に向けいろいろ工夫(机の周りにカーテンを張り巡らしたり、精神統一をしたり)しましたが効果はありませんでした。1校しか申し込みをしてないので不安と絶望です。自殺の仕方をいろいろ考えました。どのような状況で受験したのか今は記憶がありませんが結果は合格でした。不合格だったらと今でも考えるとぞっとします。

<この経験が原体験(トラウマ)になりました>
「私は性格が弱い、困難な状況になるとノイローゼになる」という観念が定着しました。
会社に入社後20年間、転勤・昇格の時などいつも強烈な不安が毎回襲ってきました。
性格を絶対強くしなければと思い、「太っ腹をつくる」「こんな幹部は辞表をかけ」「逆境に強い人」「菜根譚」「論語」などを乱読していました。昇格は恐怖です。

第2の危機<森田療法(理論)に出会ったきっかけは悪夢の「疾病恐怖」でした>

平均的(?)に遊んでいましたので、軽い気持ちでエイズ検査しました。これも100%の安心を求め半年間に7回も検査しました。また同じ血液の病気である肝炎、梅毒等の検査もしました。
その頃は、手帳にびっしり病院巡りスケジュールを記入し受診と結果で毎週病院へ通いました。いわゆるドクターショッピングです。
仕事中でも不安がわき上がると会社の別室にこもったり、散歩したりしていました。
症状がピークの頃、昇格の推薦を受け「能力査定セミナー」が2泊3日でありました。辞退しようと思いましたが受けました。セミナー中に何度も強烈な不安が襲って来ましたが必死に目の前の課題に取り組みました。評価は最悪だと思っていましたが予想外の良い結果でした。“悩みながらでもやるべき事ははやれる”という今となっては大変貴重な体験をしました。(森田を知ったあとの気づきです)

<森田療法との運命的な出会い>
セミナー受講後も不安は強烈で、心療内科を受診しようと思い始めた頃、本棚に長谷川先生の「行動が性格を変える」(現在は絶版)があり読んでいくうちに今までに無い“本物”を感じ一気に読破しました。そこで「生活の発見会」を知り「初心者懇談会」へ参加しました。講師の「それは認識の誤りだよ、時間はかかるけど治るよ」に初めてホットしました。その後は近くの集談会へ参加し、今まで誰にも話したことのない症状を話しました。でも皆さんが真剣に聞いてくれました。参加者は明るい、元気な方ばかりでしたのは驚きでした。その後、本部の「基準型学習会」に参加し森田療法の学習と日記指導又自分自身について深く考える素晴らしい機会を得ました。ここも自分が変わる大きなきっかけとなりました。その頃は「不安はそのままに今やるべきことをやる」を行動指針に。仕事はやることをリストアップし1つ1つ不安のままやりました。そうこうするうちに今までになく症状を忘れて仕事に没頭している自分に気づき驚きました。それを転機に急激に「とらわれが」なくなってくるのがわかりました。 病院巡りはやめました。

<なぜ疾病恐怖に陥ったのか>

  • 誤った認識
    ・不安、恐怖あってはならないもの。悪い感情は「努力」でなくすことできる。
  • 誤った行動
    ・不安、恐怖を取り除くため、一点の不安のない気分を目指して病院巡り。
  • 正しい認識
    ・不安、恐怖は自然現象でどうしようもできない。不安、恐怖はあるのが自然。不安があるから注意深く行動し失敗しないように社会を生きぬくことができる。(不安と欲望は表裏一体のもの)
  • 正しい行動
    ・不安、問題があるなら、具体的対策を打つ。病院で検査し結果が問題ないなら問題なし。
    ・不安は不安のまま今やるべき事をやる。サラリーマンなので与えられた仕事をきちんとする。

第3の危機<大型プロジェクトの責任者>(森田療法(理論)の活用)

神経症から立ち直りやりがいのある仕事とそれなりの成果を上げている中、大型プロジェクトの統括リーダーの辞令が発令されました。(100億円規模)
それからは、強烈な不安が襲ってきて、早朝覚醒が頻発する状況になりましたが森田を知っていましたので「不眠恐怖」「うつ」等の神経症に陥ることはありませんでした。“目が覚めるのは仕方ない。不安要因が沢山あるから”と自然に受入れられ、枕もとにノートを準備し目が覚めたときには不安原因と解決策をとにかく思いつくまま1~2時間くらいかけて書き切ると不安も自然に薄れ眠くなってきます。毎回同じです。
深夜の帰宅途中に何度も“もう駄目だ!”と何度も思いましたが、ただそのまま“大変だ~”で放っておくと(感情に小細工をしないでそのままほっておくと)そのうちに新しいエネルギーと知恵が出てきた経験が何度もありました。
森田独特の考え方「不安は欲望の裏返し」、不安、ストレスはエンジン、エネルギーの源泉のように思えました。森田を知っているから何があろうと大崩しない思いがあります。不完全でもどうにかプロジェクトをやり遂げた自負があります。森田を知らなかったらどうなっていたか・・。森田に感謝です。

神経症でも社長になれた(Y・Tさん・男性・会社役員)

高校1年の時神経症(疾病恐怖)になり症状をとることに専念して勉強をしなかったので成績は下り大学受験は失敗した。だた、機械いじりが好きだったので高専に入学、37歳で発見会入会、その後33年間集談会を続けています。
未熟な私でも集談会に33年間通ったお陰で普通の人間になれました。
もともともっていた神経症の良い点を伸ばし、悪いところは発見会で修正したら社長になれました。

「高校1年の時神経症に」

高校1年の時、口の中にできものができました。「家庭の医学」で原因について調べました。梅毒という文字がとびこんできました。頭から血の気が引いていきました。保健体育の時間に梅毒はコップからも伝染すると教わったことを思い出しました。「梅毒に罹ったかもしれない、大変なことになった」と不安になりました。それから「家庭の医学」は私の聖書になりました。普通の聖書と違う点は読むたびに不安になることです。勉強どころではなく成績も下がっていく一方で大学受験も失敗しました。ただ、後に森田理論の勉強をして分かったことですがこの解釈は間違っていました。神経症の症状がでたから成績が下がったのではないのです。
症状をとることに専念して勉強をしなかったので成績は下り大学受験は失敗した。これが事実です。このからくりは神経症のモデルをみていただければと思います。

起業と同時に症状が再発

35歳の時パソコンのソフト会社を起業。
社会での経験不足の技術者が会社をおこしたのですから仕事がなく経済的にも困窮しました。子供らにオヤツも買ってやることもできなくなり彼らは救急箱のチョコレートの虫下しを隠れて食べていました。将来に対する不安が襲ってきてそれらの要因が重なり神経症が再発しました。大学受験とおなじく困難な事態が症状を引き起こしたのです。

集談会との出会い

再発に苦しんで解決法を模索していたら森田理論の青木 薫久著「なんでも気になる心配症をなおす本 」に出会いました。巻末の折り込みで「発見会」の存在を知りました。
さっそく集談会に参加してみました。集談会は私にピッタリあっていました。集談会に通うようになって1年位して症状はなくなりました。会社も軌道にのり安定していきました。

症状が消えた瞬間(恐怖突入)

大規模で技術的にも難しい仕事を受けました。いつまでたっても完成できません。
お客に「死んでもやります」と見栄を張って貰った仕事ですから、「やってみたらできません」では済まされないのです。最後には睡眠時間を3時間に削って3週間頑張りました。症状もあるなかでの作業ですからそれこそ地獄でした。頭がおかしくなってしまっていたのでしょう、「もーだめだ、できない。死ぬしかない」と考えました。どのようにして死のうかと考えているうちに、どうせ死ぬのならやれることは全てやってみようと腹を括りました。その瞬間、サーと症状が消えました。それから頭が冴え課題がすらすら解けるようになりました。私には物事を先延ばしにするという間違った心構えがあります。それが主な原因でした。
その後の火事場の馬鹿力のお陰で完成することができました。この成功体験がそれからの神経症人生に良い影響を及ぼしました。
「腹をくくれば症状は消える。迷っていると症状はでる」。そのような 心構えができました。私の未熟な心構えの中に神経症の大きな要素があることにも気がつきました。 

森田神経症をモデル化

私が考えた神経症のモデルを紹介します。
神経症の始まりは困難な状況(理想と現実が乖離する)ことからはじまります。これが後輪に症状として伝わります。後輪(不安、恐怖)は直接コントロールできませんが、前輪の後をついてきます。その結果前輪(心構えと行動)で後輪の症状をコントロールすることができるのです。