体験記一覧(社交不安/社交不安障害)

自己受容の道(T・Uさん・37歳・主婦)

私は、長いこと、対人能力が人より劣っているという劣等感を抱えていました。発端は、幼稚園の2年間でした。「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」、簡単に言えば極端な人見知りで、自分からはほとんど口を利かない子どもだったので、毎日一人でぽつんと過ごしていました。

小学校に入ってからはだんだんとしゃべるようになったのですが、人とうまく関われないという劣等感が背景となって、その後いろいろな対人恐怖症(社会不安障害)の症状が出てきました。高校時代には激しい衆前恐怖になり、そのうち一対一でも緊張するようになりました。森田療法を知ってからは、いつも「緊張はなくならないから、あるがままになすべきをなす」と言い聞かせながら、行動してきました。でも、緊張も劣等感もなくなりませんでした。

それが、20年数年が経った今では、根強かった劣等感は小さくなり、それにつれてなくならないと思っていた対人緊張もなくなりました。まずは、この20年の間に、仕事やプライベートでいろいろ経験したこと。また発見会の中でも、積極的に活動してきたこと。そういう事実の積み重ねが、こんな自分でもやれるのだという自己評価につながったのだと思います。

劣等感もまったくなくなったわけではなく、他の自分の良い面に目を向けることが多くなっただけだと思います。劣等感に悩んでいるということは、自分の弱点だけに目がいってしまい、こういう自分はダメだと思い込み、良い面に目が向かない状態だと思います。私には「人は社交的であるべきだ」という誤った思い込みがあり、これにとらわれていたのです。

大勢の中でワイワイ過ごすよりも、家で一人静かに過ごすのが好きなのが、本当の自分です。社交的ではないですが、一人家にこもり、何か人のために役立つことを企画したり、作り上げたり、そしてそれを発表したり、表現したりすることは好きなのです。「クリエイティブなオタク人間」というのが自分の良い面なのかもしれません。

対人恐怖と発見会と介護と(H・Yさん・45歳・介護職)

喧嘩や口論の絶えない家庭に育った自分は、とても内気で情緒が安定しない子どもでした。高校2年の受験期の頃から、視線恐怖や醜形(しゅうぎょう)恐怖の症状がでてきました。追い詰められた自分は、すっかり心が壊れてしまいました。

受験には失敗、就職は考えられず、アルバイトを転々としました。主に建築現場の荷揚げの仕事など、体力勝負の仕事です。人の目が見られないので、人と関わらなくてもよい仕事をしたのです。

そんなアルバイト生活を数年続け、家にいるのも限界で、派遣社員となり、地方の工場でも働きました。しかし症状はどんどん悪化し、「自分は世界一醜い目をしている」と本気で思い込みました。派遣の仕事も続かず、実家に戻ったものの居場所はなく、近くの町でアパートを借りて住みました。

その頃は症状のため、外に出ることすらできなくなっていました。四六時中畳に横になって手鏡を持ち、「こんな目をしていたら生きていけない」と自分の目を見るありさまでした。

そして観念し、はじめて精神科を受診しました。その病院で、治療、ディケア、精神障碍者の社会復帰施設の作業所へとつなげてもらえました。そこではじめて温かい人間関係を体験することができたのです。仲間(利用者)との交流や、話を聞いてくれたスタッフなどのおかげで徐々に心の状態は回復していきました。29歳になっていました。

それまで仕事を探す基準は「人と関わらないでできる仕事」でした。しかし作業所での温かい人間関係を経験し、30歳になる前に「やりがいのある仕事」「人と関わる仕事」をしてみたい、に変化しました。はじめてと言っていいほど、前向きな意欲が湧いてきていました。

そしてヘルパー2級という資格があるのを知り、短期集中で資格を取得しました。最初はパートでしたが、有料老人ホームに就職すると、こんな自分に入居者さんは「あんたはいいよ」「優しいからいいよ」など、たくさん肯定してくれました。

介護の仕事をはじめたころ、対人恐怖、視線恐怖、劣等感の塊の自分をなんとかしたいとネットで必死に探し、生活の発見会のホームページを見つけました。似た症状の体験談が載っていて、藁にもすがる思いで入会しました。そして初心者懇談会、集談会、基準型学習会と参加していきました。基準型学習会では自分と同じ症状の人がこんなにいることを知り、感動したのを覚えています。

感情の法則、あるがまま、思想の矛盾……森田療法理論を知り、自分に取り入れていきました。たとえば、感情の法則では、嫌な感情が浮かんできては「こんな感情が浮かんできてしまう自分」を責めていましたが、それに責任をもたなくて良いと言ってくれているのは救いです。また今までは、「高い理想を持ちすぎて現実的な努力ができず、失敗をする」を繰り返し、苦しんできました。でも、そのなかでも少しずつ続けてこられたこと(生活の発見会・介護・マラソン)があり、等身大の自分が見つかってきたと思います。

数年前から母が認知症になり、78歳の父が74歳の母を介護しています。自分は受診の付き添いや父親のフォローをしています。

介護の仕事を10年以上してきましたが、あまりにも介護のことを知らないことに気がつきました。自分の症状ばかりに目がいき、仕事の知識や能力向上のための努力をしてこなかったのです。その努力をしたいです。それが両親と向き合っていくことにつながると思うのです。両親がくれる最後の贈り物かもしれません。喧嘩ばかりの両親でしたが、父が母を一生懸命介護している姿は微笑ましく思えます。今は両親への恨みは消え、感謝をしています。やっと、過去が過去になった気がしています。