神経症になりやすい性格特徴

神経症が発症する大きな要因としては生まれもった神経質という素質があります。それは物事にこだわり易い、あるいは気分や感情がなかなか転換できないという執着性、そして予期不安を持ちやすい心配性などが含まれます。
このような性格特徴を持った人に困難な環境や状況、すなわち受験とか転勤、両親の他界のような外的要因が加わった場合に強い不安状態になります。このような状態を「適応不安」といい、神経症になる準備段階といえます。このような時に、たまたま人前であがっただとか、顔が赤くなっただとか、胸の動悸を意識したことがあると、大変なことになったと慌てふためくことになります。そして、このようなことは自分だけに起こる異常な感覚と思い違え、これを取り除こうとするためにその感覚にとらわれ、神経症の度合いを深くしていきます。 この章では、そのあたりの神経症になるメカニズムを説明します。

  • 神経質の両面観

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    「きみは神経質だね」・・・こんな風に言われたら、あなたは何をイメージしますか。 きっと、マイナスのイメージを思い浮かべる人が多いでしょう。暗い感じとか、子細なつまらないことにこだわるとか、小心者・心配性など、どれをとっても良いイメージではありません。ただ小心で臆病だけなら、それほど苦しまなくてもすむかも知れませんが、あいにく神経質な人は、負けず嫌いという相反する性格傾向も兼ね備えています。たとえば、引っ込み思案で発言できなかったことをいつまでもくよくよ悩み、こんな気の弱いことではいけない、堂々と意見の言える強い性格にならなければと思い込みます。そして、武道や座禅などで自分を鍛え、強い性格になろうとしますが、努力すればするほど気の弱い自分を意識して悩むのです。

    ところが、森田博士は、神経質性格にはマイナスの面ばかりでなくプラスの面もたくさんある、と言います。神経質のプラスの面と言われても、すぐにはピンときません。しかし言われてみれば、理知的なところ、執着が強いところ、真面目なところ、よく反省すること、忍耐強いこと、あるいは向上心に富んでいることがプラスの面である、と森田博士は述べています。これらはいずれも私たちが生きていく上でとても大切な要素であることがわかります。

    性格特徴をこのように並べると、プラス面、マイナス面があるように思えますが、これはひとつの性格を様々な角度から表したものです。
    森田療法では、性格にも物事にも、すべて両面があり、多面性があると言います。一つの側面にだけとらわれてしまいがちな神経質者とって、「両面観」は大事なポイントです。

  • 神経質性格の特徴

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    では、神経質性格の四つの特徴を見てみましょう。

    第一が、心配性であること。これをプラスに活かせば、行動するときに綿密な計画を立て、慎重に臨んで失敗しないようになります。逆にマイナスに働くと、石橋をたたいても渡らないというように、行動できなくなってしまいます。

    第二は、自己内省性、つまり反省心が強いということ。この特徴をプラスに活かせば、自分の誤りを正して世の中に適応するのに役立ちますが、マイナスに作用すると自分にばかり注意が向いて世の中の動きや周囲のことに目がいかず、世間知らずで気が回らない人間となり、生活も次第に行き詰まってきます。

    第三は、執着性が強いということ。プラスの現れ方をすれば、忍耐強い・根気強いという長所になりますが、マイナスに作用すると、ちょっとした違和感にも敏感になって、それを取り除こうと実らぬ努力を続けて疲れ果ててしまいます。

    最後が、欲求が強いということ。プラスに活かせば向上心をもって働き、世の中の役に立つ仕事ができます。逆にマイナスに働くと、完全を求めるあまり必要以上の劣等感に悩み、観念にこり固まって現実的な対応ができないトラブルメーカーになります。

    このように、神経質性格には表と裏があるのです。マイナスに作用した時には世の中にうまく適応できず、神経症に苦しむことになります。逆にプラスの面を活かせば、能力を発揮して生き甲斐を見出し、世の中に貢献していけるのです。

    神経質者には強い欲望があります。森田博士はこれを「生の欲望」と呼びました。神経質の人は「生きる」ということに対して本能的な強い意欲を持っています。
    また、神経質者は強い自尊心があり、そのため負けず嫌いな面がありますが、一方で自己保存欲も強く、不安から逃げたいという消極的なところを併せ持っています。
    そして、観念的、依存的、自己中心的な面もあり、それらの調和がとれていないことが症状発生の一因となっています。

  • 人間性に対する誤った認識

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    例えば神経症になる人は次のように人間として起こるべき当然の変化を自分だけのもの、または特別なもとして誤った考え方(人間性に対する誤った認識)をしています。

    例1) 仕事などのあとの疲労困ぱい状態の時には、めまい、心臓のドキドキは誰にでも起こりうることです。

    例2) 自分にとって大切な会合などの時、人前で緊張してあがる、声が震える、人は自分をどう思っているのか不安になるなどは当然誰でも経験することです。

    こうした誰にでもありえることを自分だけのこと、異常なこととしてとらえてしまうことに誤った認識があります。そして「これさえなかったら」と病気になることの不安・恐怖、あるいは人前で緊張することの不安・恐怖だけを目の敵にして排除しようとすると、不安・恐怖はますます大きくなり、他の現実的な問題に目がいかなくなります。
    現実的な問題から離れると、当然、実生活が後退してしまい、ますます不安・恐怖は増大し、この不安感や恐怖感をなくしてから行動しようとする誤った努力方向に進むという「精神的からくり」に陥ってしまうことになります。

    以上のことから、神経症の発症は、病気でないものを病気と思い込み、異常でないものを異常と思い込んだことによるものと言えますが、別な見方をすれば神経症になるべくしてなったということもできます。