「私が初めて集談会に参加した日」宮崎懇談会 ぼろいしやま

私は2015年8月初めて宮崎懇談会へ参加しました。当時私は41歳。懇談会に初めて参加した当時の心境や状況は正直はっきりと覚えていないのですが、初めて参加したその当時は事前に世話人の方に「参加したい」旨のお電話を差し上げた際、親切に案内をしていただいていたので、緊張せずに懇談会に参加できたと記憶しています。

当時の私は朝礼など人前に立って話をすることに異常なほどの恐怖心(衆前恐怖)を持っており、朝礼当番が回ってくると前日から予期不安で夜中に目が覚めたり、通勤時には朝礼で緊張した自分の姿がフラッシュバックして急に全身が震え出したり心拍数が上昇し呼吸困難になったりと不安から襲ってくる体の拒絶反応に対し、懸命に自分を誤魔化して心拍数や体の震えを抑え込む努力をしていました。
一方で、私は年齢を重ね会社ではもうそれなりの立場となっていたにも関わらず、未だに朝礼ですら緊張して声が震えてしまうことに対して、惨めな自分が嫌いで情けなくて仕方ありませんでした。これは誰にも打ち明けられない恥ずかしい秘密事でもありました。本来ならメンバーの前では堂々とその場を完璧に仕切る自分、メンバーから信頼され尊敬される自分でいたい、と心の奥底では非常に強い思いを抱いていました。
そんな頃、私に管理職登用の話が急に舞い込んできました。本来であれば喜んで受け入れることだと思いますが、私は悩んだ末それ断りました。それは、管理職になった際の自分を想像したときに、対人恐怖がありメンバーとコミュニケーションをとれない姿や、発信力が求められる立場であるにかかわらず人前で話をすることを避ける姿、人から嫌われたくない思いが強く人の思惑をすごく気にするあまりメンバーを指導できない姿など、惨めな自分の姿しか想像できず、その不安に押しつぶされそうになかったからです。今振り返るとその場凌ぎの保身的な考えだったと思っています。

その時、「このままでは駄目だ、この性格を変えないといけない」という衝動が起こり、書店でそのヒントになる本を探していました。その際、偶然目に留まり手に取ったのが森田療法の本でした。その本には治った人の体験記や神経質症の治療法などが記載されており、今の自分の悩みや症状と一致するところがあり、読みながら感動で武者震いした記憶があります。またその翌月に、別の書店で改めて森田療法の本を見てみると各地域で集談会なる集まりがあっていることを知り、宮崎懇談会に初めて参加することになった次第です。
初めて参加した懇談会の場で私は前述のような自分の症状をお話ししました。ある先輩参加者の方から「(治るのに)2年はかかる」とアドバイスをいただいた記憶があります。この時私は懇談会に参加してこの症状を1日でも早く、また1回で完治するような魔法の方法やアドバイスを求めていたと思います、「2年・・」という答えに「長いなぁ」と直感的に思いましたし、少し落胆したというのが正直な気持ちなのですが、一方で自分の考えが甘かったことを思い知らされたような気がします。

それ以降現在に至るまで懇談会に参加し続けているのは何故だろうと考えたとき、1つは懇談会が私にとって唯一悩みをさらけ出せるところであり「自分の居場所」であると思えたからです。同じような境遇の方と共感できるところがあるのもすごく自分を肯定的な考えにさせてくれています。以前は自分のことが嫌いで受け入れられなかったのが、今はその感情がだいぶ薄れてきて、「これが自分なんだ」と認められるようになってきたと思います。

また、懇談会では「森田理論学習」のため世話人の方が資料を用意してくださっていましたが、その資料が当時の私のその時に抱える悩みやぶち当たっている心の壁に対してタイムリー且つダイレクトに応えてくれる内容ばかりであり、懇談会が終わった後には「明日からも頑張ろう」と活力が湧き、とても清々しい気持ちにさせていただいておりました。また人としての成長に繋がる気づきを与えていただけるところも私自身の心の糧になっています。

森田療法と出合って7年を過ぎた現在、今も人前で話をする場面では身に染みついている”変なプライド”
が現れて、震えや呼吸困難という症状を起こすことがあります。そんな弱い自分を残念に思いますが、一方では「これが自分」、『弱くなりきることが大事』と自分に言い聞かせて“今”を生きています。自覚が足らない自分にはまだまだ発見誌と懇談会が必要のようです。

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