森田療法を学び、不安症(全般性不安障害)・トイレ不安~とらわれからの回復 (Y・A、女性、会社員)
一番苦しんだ「トイレ不安」症状について
私の症状についてですが『不安症(全般性不安障害)』で、一番苦しんだのは『トイレ不安』です。トイレのない場所や行きにくい環境に置かれると「腹痛が起きるのではないか」と強く不安を感じ、実際に身体的症状も出ていました。そのことが予期不安につながり「また次も同じことが起こるのではないか」と恐怖にかわっていき、どんどん生活範囲が狭まっていきました。
子供のころから胃腸が弱い体質でした。社会人になったある日、電車で通勤途中に腹痛を起こし、かなりつらい我慢をしてしまいました。それが引き金になり、翌日から乗車直前に腹痛を起こすようになりました。そして必ずトイレに入ってから乗車する毎日になりました。
その症状はどんどんエスカレートしました。不安はどんどん広がって、電車だけではなく、会議など時間を束縛される前、映画館・美容室や歯医者も怖くなりました。そして一番苦しかったのは、会社関係の会食でした。「食べることで腹痛を起こす」と思い込んでいた私は、どんどん極端な考え方をするようになっていました。
だましだまし向き合っていた症状が強くなり、私は意識して食べないようになりました。「食べなければお腹に何も入っていないのだから、絶対に腹痛を起こすことはない」と、不安を感じるたびに心に言い聞かせていました。空腹でお腹が鳴って恥をかくよりも、食べなければ絶対に腹痛が起きないと思っている方がずっと気が楽でした。食事の誘いも不自然に理由をつけて断りました。まったく食べない訳にはいかないので、食事中は終わった後のお腹の調子ばかりを気にして、一喜一憂していました。
でも不安がなくなるどころか、ますます苦しいものに変わりました。「食べない=絶対に腹痛を起こさない」という図式を作ってしまった私は「食べる=絶対に腹痛を起こす」と極端に思うようになり、食事のたびに、さらに強い不安を覚えるようになりました。
外食が、そして食事自体が怖くなりました。家族旅行に行っても、宿につくまでは水分すらも控え、不安を消すことだけしか考えていませんでした。自分のことしか考えることができず、ゆっくり観光をすることを嫌がり、早く宿に行きたいとせかしてみんなを振り回していました。
そして生理現象に関係なく、何か行動をする前には必ずトイレに行くようになりました。トイレから離れなくてはいけない時には、行ったばかりでも必ずトイレに行きました。私の場合は「一応トイレに」は表向きで、心の中では強い予期不安をなんとかしたくてトイレに行っていました。
また、どこに行くにも自転車を使い徒歩を避けていました。移動中にトイレに行きたくなったら、すぐにトイレを探すことができないと不安だったからです。どうしても徒歩で移動しなくてはいけない時は、事前にトイレのある場所とそこまでの時間を調べて出かけていましたので、駅トイレの位置や公園やコンビニなどの位置をよく知っていました。
しかし不安は強迫症(強迫性障害)に発展してしまいました。予期不安の不快感を取り除こうとトイレに入ってしまうと、トイレから出ても、「もしかしたらもう一度行った方が気持ち的にすっきりして安心するのではないのか」とよぎり、何度も何度も出たり入ったりしてしまい、なかなか次の行動に移せなくなっていました。毎回時間切れで、やっとあきらめてトイレから離れるという感じでした。
こうして振り返ると、とても疲れる生活をしていたし、はたから見ると「精神的におかしい」と思われても仕方のない行動をとっていたとも思います。表では平然を取り繕っていましたが、心の中はとても病んでいた時期でした。
森田療法の学習と体験交流の場「集談会」を開催する自助組織「生活の発見会」との出会い
病院にも行きましたが、身体的には特に問題が見つからず、いつも一過性のもので片付けられていました。そのうちに「過敏性腸症候群」という病気があることをテレビで知り、私もこの病気だと思いました。そして過敏性腸症候群の薬を飲み始めましたが、そのうちに飲んでも効かなくなりました。
そんな時、図書館で森田療法専門医北西先生の『森田療法のすべてがわかる本』に出会いました。そこには私が苦しんでいた(苦しみすら気づかなかった)症状が書かれていました。森田療法の本を読み、私は不安症(全般性不安障害)でその症状の一つが過敏性腸症候群だったと知りました。薬は対症療法で根本的な治療ではなかったのだと、やっとたどり着きました。森田療法を勉強すれば、この苦しさからすぐに解放されると信じて、自宅から一番近い自助組織「生活の発見会」が全国で運営する「集談会」(森田療法を学習し体験交流する場)へ参加をするようになり、「生活の発見会」会員になりました。
ただ、集談会は1年たらずで離れてしまいました。症状が強く自分だけしか見えず、集談会で何をどのように学んでいけばいいのかもわからなかったからです。その後は「生活の発見会」の月刊誌である発見誌を読みながら自分なりの解釈で森田療法を生かすような生活をしていました。なにか不安を感じた時「森田療法では、このような時にどのように考えたらいいのだろうかと」思いながら行動をしたり、不安と向き合ったりしていました。やはり森田療法は私のよりどころであることに変わりありませんでした。
森田療法を勉強し、そして少しずつ症状へのとらわれが和らいできた頃「再度集談会に参加してみては」と言っていただき、集談会に戻る形で参加をして、6年が過ぎました。
集談会に参加し森田療法を学習する中での症状の回復
森田療法を学び、ここ数年は劇的に症状が軽くなり、いろいろなことが順調に運ぶことが多くなりました。症状が和らぐと「自己否定感」でいっぱいだった生活が、自然と「自己肯定感」へ流れるようになり、些細なことを気にすることもなくなり前向きに生活をするようになりました。
でも症状がなくなったわけではありません。相変わらず予期不安が襲ってきて、ざわざわする心に辻褄を合わせて行動したりしています。ただ、以前よりもずっと楽になったのは、辻褄を合わせながらでも、自分の苦しい感情を冷静にしっかり受け止められるようになったからだと思います。
先輩会員の方から、「症状は薄紙がはがれるように良くなるから大丈夫」と励まされたことがありましたが、当時の私は半信半疑でした。でも、気が付くと症状がよくなっている自分を実感しています。急によくなったのではなく、私が気づかないくらいにゆっくりとよくなっていたのだと思います。
森田療法と自然な感情
最近になり『実践行動重視』をしていた私がたどり着いたところがあります。それは岩田真理さんの「感情は無視すべきものでも、抑えつけるべくものでもなく、ただそこにあるもの」「自然な感情をそのまま持ちこたえることができていれば、周囲に適応して臨機応変な行動をとれる」というものでした。
私は苦しい感情を「ただそこにあるもの」として考えたことがありませんでした。不安が起きると、その感情を排除しようとすることでいっぱいになりました。過ぎ去った不安の恐怖が収まっても、またいつ来るかわからない不安におびえて生活をしていて、疲れていました。でも自然な感情をそのまま持ちこたえることで自然な行動をとれると知って、少し感情の方向性が変わってきました。
トイレ不安の私は行動前に何度もトイレ確認をしてしまいます。今は、強迫観念的な感情が湧いてきても感じるままにしておき、切り離すことが早くなり、とても楽になってきました。
森田療法の学習と体験交流の場である集談会と自己肯定感
森田療法を知る前は、私はずっと自己否定感の中で生活をしていました。完璧主義の私は頑張っても頑張っても理想としている自分になれないことを受け入れられず、いつも自分を責めていました。
集談会に戻った時、今度こそ森田療法をしっかり学び体得することでこの苦しさを解放しようと思いました。やるとなったらせっかちで欲張りな神経症ですから、集談会の他にも森田療法(理論)勉強会に参加し、さらには同じ日にほかの集談会にも参加をすることにしました。
ほかの集談会への参加は森田療法を学ぶという前提ではありましたが、どちらかというと最初は電車に乗るための『恐怖突入』の実践でした。最寄り駅までの電車は今でも急行には乗れませんが、毎月通うことで不安がどんどん小さくなっていく実感がありました。そして分かったことは、逃げれば逃げるほど恐怖が大きくなっていき、行動すればするほど自信がついて恐怖が小さくなってくることでした。ひとつ森田療法を体得できたかもしれません。
その後集談会の世話人になり、怖くてできなかった前に出る仕事は強制されることもなく、できることをゆっくり温かく見守ってもらいました。そのうちに、自分にはできないこともあり、できないことは助けてもらい、そんな自分でいいと受け止めることで自己否定感が薄らいできました。
集談会では、できることを一生懸命するだけで「こんな自分でも役に立っている」という安心な居場所に変わっていきました。周りがよく見えるようになった分、できることをどんどん増やしていけるようになりました。いろいろ経験をしながら、森田療法だけでは学ぶことができないことを教えてもらえるのが集談会だと気づきました。
今は神経症が治ったとか、治らないとかではなく、苦しみも、楽しみも、悲しみもすべての感情をただ自分の感じとして信じて行動していけばいいと確信しながら生活をしています。これが私のとらわれからの回復だと思います。