不安症(不安障害)でも社長になれた Y.T、男性、会社役員

37歳で自助組織「生活の発見会」入会後、33年 集談会参加を続けています
未熟な私でも集談会に33年通ったお陰で普通の人間になれました。

*集談会~自助組織生活の発見会が運営する「森田療法を学習し体験交流する場」
*自助組織生活の発見会~森田療法を学びいろいろな不安障害(神経症)から立ち直った人々の自助組織

もともともっていた不安症(不安障害)の良い点を伸ばし、悪いところは自助組織生活の発見会で修正したら、社長になれました。
小学、中学生時代、不安症(不安障害)の要素がすでに存在しました。

私は佐賀県の吉野ケ里遺跡の町で生まれました、鉄腕アトムの漫画の影響を受け、お茶ノ水博士のような科学者にあこがれる少年でした。
実際、電子工作オタクで、小遣いを貯めて部品を買い、ラジオの製作に没頭している無邪気な少年でした。友人との付き合いは少なく、一人でいるときが多かったようです。
運動は苦手で運動会の100メートル走では、最初こそ横一線だけど、じりじりと抜かれて行き、最後はビリから2番か3番でした。一生懸命やってもやっぱり抜かれてしまう。これは自分の将来を暗示しているのか、と子供ながら心配しました。不安症(不安障害)の特性の一つ、心配性もすでに持っていました。森田療法では不安症(不安障害)の人は、素質として心配性があるといわれています。それにぴったりあてはまります。

◆高校1年の時、不安症(不安障害)に

高校1年の時、口の中にできものができました。図書館の「家庭の医学」を読んで病気についてしらべました。梅毒という文字がとびこんできました。頭から血の気がひいていきました。保健体育の時間に、梅毒はコップから伝染すると教わったことを思い出しました。「梅毒に罹(かか)ったかもしれない、大変なことになった」と不安になりました。それから「家庭の医学」は私の聖書になりました。普通の聖書と違う点は、読むたびに不安になることです。一日中病気のことが頭にこびりついて離れません。保健体育の先生に手紙で相談して、心配ないとの答えをいただきましたが、すでに不安症(不安障害)の症状が固着してしまっていたのです。勉強どころではなく、成績も下がっていく一方で、大学受験も失敗しました。
ただ、この時の解釈は間違っていました。後に森田療法の勉強をして分かったことですが不安症(不安障害)の症状が出たから成績が下がったのではなかったのです。勉強しないので成績が下がり、困難な状況が原因となって症状が出た。つまり順番が逆だったのです。
さらに症状さえなくなれば、勉強に集中ができ、集中さえできれば成績は上がると信じていましたが、これも森田療法を勉強して間違いだと気付きました。実際は、症状をとることに専念して、勉強をしなかったので成績は下がり、大学受験は失敗した。これが事実です。

◆大学、サラリーマン時代

その後、浪人しても不安症(不安障害)は克服できず、成績も上がりませんでした。結局、不本意ながら大学は、工業短大というところに入りました。しかし大学の専門は電子科で好きなことができて、症状はあまり顔を出しませんでした。
不安症(不安障害)の症状は、現実社会で充実していれば治まるのです。しかし、不安症(不安障害)は治ったわけではなく、私の中に身を隠して存在していたのです。人間的に成長し、正しい心構えと変化をしなければ不安症(不安障害)は克服できません。一時的に治まった不安症(不安障害)の症状は、困難な状況になれば、すぐ再発するありさまでした。

就職はモノづくりの会社に入社し、好きなことができました。そのころはマイコンブームでマイクロソフトのビルゲーツやアップルのスティーブ・ジョブズ達が成功者として讃(たた)えられていて、自分も感化され、専門技術やビジネスの勉強をしました。そうしているうちに不安症(不安障害)も治まり、エンジニアとして充実した日々を送ることができるようになりました。

◆起業と同時に症状が再発

35歳の時一人でパソコンのソフト会社を創業しました。
世間もお金の苦労も知らない社会での経験不足の技術者が会社をおこしたのですから、労働時間、や仕事の面で生活が激変しました。経済的にも困窮しました。子供らにオヤツを買ってやることもできなくなり、彼らは救急箱のチョコレートの虫下しを隠れて食べていました。
心配性の私に将来に対する不安が襲ってきて、それらの要因が重なり不安症(不安障害)が再発しました。大学受験の時と同じく、困難な事態が不安症(不安障害)を引き起こしたのです。

◆自助組織「生活の発見会」との出会い

苦しんで解決法を模索していたら、森田療法医の青木 薫久著「なんでも気になる心配症をなおす本」に出会いました。巻末の折り込みで自助組織「生活の発見会」の存在を知り、集談会(生活の発見会が運営する森田療法の学習と体験交流の場)に参加するようになりました。
集談会は、私にピッタリあっていました。集談会に通うようになって1年位すると、症状はなくなりました。その後、33年間ずっと通っています。生活の発見会で勉強したことで、症状が最終の問題ではないことや、人間的に未熟なことが不安症(不安障害)の大きな原因であることに気がつきました。

◆不安症(不安障害)の症状が消えた瞬間(森田療法の言う「恐怖突入)

起業してすぐの頃、メインの顧客から私の能力以上の仕事を受けたことがあります。ボリュームが大きく技術的にも難しく完成できないのです。
その時は仕事がなかったので、お客様に「死んでもやります」と言って、無理やりいただいた仕事ですから、「やってみたらできません」では済まされないのです。

最後には睡眠時間を3時間位にして3週間頑張りました。症状もあるなかでの作業ですから、それこそ地獄でした。頭がおかしくなってしまっていたのでしょう、「もーだめだ、できない。死んでもやりますと言った以上、死ぬしかない」と考えました。どのようにして死のうかと考えているうちに、少し正気に返ってきて、どうせ死ぬのならやれることは全てやってみようと腹を括(くく)りました。その瞬間、サーと症状が消えました。それから頭がさえ、課題がすらすら解けるようになりました。火事場の馬鹿力であり、森田療法で言う「恐怖突入(捨て身の心境になり行動すること)」であったのでしょう。
結果的に無事納品することができました。この成功体験がそれからの人生に良い影響を及ぼしました。
「腹をくくれば症状は消える。迷っていると症状は出る」。そのような心構えができました。私には物事を先延ばしにするという間違った心構えがありましたが、この未熟な心構えは不安症(不安障害)の原因の大きな要素であることに気がつきました。

◆集談会(森田療法を学習し体験交流する場)で役を引き受けると心構えが変わる

生活の発見会の集談会で幹事をやるように先輩から勧められました。レクレーション係を担当し、バーベキューやハイキング、懇親会などを企画実行しました。この役が内向的かつ経験不足の私にとって大きな勉強になりました。
不思議なことに集談会活動を一生懸命やったら、会社の業績もよくなりました。集談会の活動で人間に対する誤った認識が是正され、それが社員にたいしても、おなじことが言える、と気がついたからかもしれません。
また神経症者不安症の者が本質的にもっている心配性(森田療法で言う 気にする性格・弱気な性格)が、大きな失敗や事故を防ぐことにプラスに働いたようです。神経症不安症(不安障害)のお陰で、35年間会社を潰(つぶ)さないで続けられました。

◆次男も集談会(森田療法を学習し体験交流する場)で治った

5年前、私の次男が抑うつ症(抑うつ神経症)になりましたが、集談会で治りました。
自分が集談会と森田療法で治ったこと以上に、子供が治ったことは嬉しいことです。また集談会と森田療法には力があるということが証明された、といえるでしょう。集談会に親子二代で恩を感じています。

◆一生を支えた成功体験(恐怖突入)

森田療法を勉強して思い出したことがあります。それは大学生の時、中学の初恋の人にラブレターを書いたことです。それも速達で出したら、速達で返事がきました。自分の人生で一番嬉しかったことは、この速達の返事をもらったことです。
「清水の舞台」から飛び降りる覚悟でやったラブレターの投函は、自信となって、その後の人生で心の支えとなり、これこそ森田療法の恐怖突入(捨て身の心境になり行動すること)だと体得しました。迷ったときには、この成功体験を再利用するようになりました。
それを何回も繰り返していたら「だめでもともと、やるだけやってみよう」という心構えが形成できました。

◆私が考えた森田療法のモデル(仕組み)

私が考えた森田療法のモデル(仕組み)を紹介します。
後輪は不安、恐怖など症状で、コントロール不能です(不安は排除せず、そのままに)。
前輪はハンドルでコントロール可能(行動、心構え)です(不安を持ちながらも、できる範囲で必要な行動をしていく)。
後輪(不安、恐怖)を直接コントロールすることはできませんが、前輪に附いてくるので、前輪で間接的にコントロールすることができます。つまり、行動によって、不安や症状へのとらわれから、少しずつ抜け出ていく(気にならなくなる)ことを表しています。

◆症状が治っても生活の発見会を続ける理由

症状が治ってみて、症状を治すことがゴールではないことに気がつきました。
ゴールは豊かな人間性を持ち、よりよく生きること、幸せになること。
その点では、まだまだ道半ばです。そして自助組織「生活の発見会」の幹事や世話人を引き受けることが、その道につながることがわかったのです。また自分が何か少しでも人の役にたっている実感が嬉しいのです。それが、私の集談会活動を続ける理由です。