森田療法の“あるがまま”と“純な心” S.H 女性主婦

突然の確認行為、強迫性障害(強迫症)に! そして森田療法との出会い!

 40代半ばの頃、二人の息子が立て続けに東京の大学に進学し、夫と二人だけになった私は空の巣症候群のようになってしまいました。それからうつ状態になると同時にガスの元栓が閉まっているかという強迫性障害(強迫症)の強迫行為のとらわれにはまってしまいました。それはガスだけに限らず、玄関の鍵が閉まっているという感覚もなくなって、一旦バス停まで行ってまた家に戻ってくるということが何十回、何百回と続きとうとう家から出られなくなってしまいました。病院に行き薬を飲みながらの生活が一年ほど続いた後に自助組織「生活の発見会」(森田療法を学び、いろいろな不安障害(神経症)から立ち直った人々の自助組織)を知ることになり、仙台集談会(森田療法を学び体験交流する場)に行きました。そこで、Mさんとの出会いがありました。

 Mさんは私に真摯に向かい合ってくださいました。最初の頃は「わかります。わかります。」と頷いて下さって私の話を真剣に聞いてくださり、私は自分のこの奇妙な行動を肯定して下さるというかたがいらっしゃるということが大変心強かったです。この文章を書くにあたってMさんからいただいたお手紙を数えてみましたら百通を超えていました。Mさんとは、いまは信頼関係がしっかりと出来ていると私は思うのでこういうことも言えるのですが、かなり厳しいことも言われ、正直落ち込んだこともありました。しかしながら、あのぐらい厳しくされないと私の強迫性障害(強迫症)の症状は一生続いていたことでしょう。強迫観念というのは物凄くしつこいものなのです。振り払っても振り返っても追いかけてくる・・・。強迫性障害(強迫症)の人には優しいだけの生ぬるい対応をしても治らないと私は思っております。

森田療法を学び“感情は行動と共に変化する”の初めての体験アイロンの転機)!

 私はある時覚悟を決めました。夫のワイシャツを前にして「このワイシャツに最後までアイロンをかける!」ところが1分もしないうちにガスの元栓が気になってくるのです。私は立ってガス台のところに行きます。当然のことながら何も起きていません。アイロン台にもどりワイシャツの袖の部分からアイロンをかけ始めます。また、ガスのことが気になる。そうやって何十回往復したでしょう。汗はびっしょり、心臓はバクバク、しまいには手もブルブル震えてくる。私は心の中で「ガス台の所に行ってはダメ、行ってはダメ」と言いながらアイロンにしがみついておりました。そうしたらワイシャツにアイロンを半分かけたあたりから、私の気持ちがガス台から「このワイシャツに綺麗にアイロンをかけなくちゃ」というふうにフアッーと気持ちが流れるという感じがしたのです。アイロンをかけ終わった時、「できた」と思い涙が止まらなくなりました。私は2時間をかけて一枚のワイシャツにアイロンをかけることが出来ました。私が座っていた畳は私が座っていた形そのままにその部分だけ汗で濡れていました。髪の毛なんかはまるでプールにでも入ったように濡れていました。そして、途中でフアッーと感情が流れるという不思議な体験。このことがMさんのおっしゃっていた森田療法の「人間の注意は同時に二つのことには置けない」ということだったのかなあと思いました。そして、そのことをMさんに報告すると、「Hさん、50%はクリアできましたね」と言われました。いま考えると強迫性障害(強迫症)の第一関門を突破するにはあのぐらいの量の苦しい汗が必要だったのかなあと思います。「血の滲むような」という言葉がありますが本当にその通りでした。

Mさんは私を治して下さるために一生懸命でした。そして私もこの人についていけば治るという確信のようなものがありました。いま考えれば「戦い」のようなものでした。Mさんは時に優しく、時に厳しく私に接して下さいましたが、これだけは間違いなく言えることですがMさんの厳しさがなかったら今の私はなかったということです。

 以下、森田療法学習テキスト『改訂版(A)森田理論学習の要点』の6,「あるがままと純な心」から抜粋させていただきます。

『森田療法での“あるがまま”とは』

▪不安定な気持ちやスッキリしない感覚があっても、その複雑に混ざり合った状態のままで、その場の状況になりきり、流れにのることが、森田療法で言う「あるがまま」ということです。

▪「あるがまま」に「なすべきをなす」実践によって、おのずから注意は行動にふり向けられ、森田療法で言う「精神交互作用(注意と感覚の悪循環)」が断たれ、行動・成功・喜びの良循環が生じます。それが治癒のはじまりです。

 私の場合は自分では「アイロンの転機」と心の中で言っているのですが、一枚のワイシャツを2時間もかけて仕上げることができてからは少しずつですが行動ができるようになりました。ものすごく気持ちの悪いまま、「ガス台を確認しに行きたい」という気持ちを我慢して泣きながら掃除機をかけたり、洗濯機をまわしたり、やるべきこと(私の場合は家事)をやっていきました。このことが森田療法の“あるがまま”にあたると思います。泣きながら家事をやっていたのは2ヶ月ぐらいでしたでしょうか。どんなに苦しくてもやるべきことをやっていきました。その後は少しずつですが洗濯機を回している間に掃除機をかけるとか、時間の配分もできるようになり、何回も何回も実践を繰り返すことによって、それが治癒のはじまりになると思います。

森田療法で言う「あるがまま」の生き方は、たんに不安症(不安障害)を治すだけでなく、人間本来の生き方の根本です。

この2行の言葉は私が大好きな言葉です。

人が人として普通に生きていける、いや、それだけではなく人としてより良い生き方が出来るということを森田療法創始者である森田正馬先生はおっしゃりたかったのだと思います。私の強迫行動は2年ぐらいで7~8割は収まりましたが、この間、嫌な顔一つしないで支えてくれた夫にも感謝しております。

『森田療法での“純な心”とは』

▪森田療法で言う「純な心」とは美しい心やきれいな感情という意味ではなく、理屈や判断が入り込まないそのままの感情ということです。

▪「純な心」とは、私たちの素直な感情であって、この感情の自然な事実を否定したりごまかしたりしないことが大切です。

私は、10年ぐらい前に学習塾の仕事をする機会に恵まれました。ある時、塾長から4年生のNちゃんと言う女の子を紹介されて、私に担当してほしいということでした。初体面の時は私が話しかけても無言でした。一ケ月ぐらいは無言でしたが、プリントのやるべきところはやっておりました。一ケ月を過ぎた頃から少しづづ話すようになり、私とだけは対話が成立しておりました。

 そして、中学生になると塾長・他のスタッフとも話すようになり、小学生の低学年の子供の面倒も見るようになったのです。良くここまで成長したなあと感慨深いものがありました。

 そして、私が忘れることが出来ないことは、Nちゃんが中学校3年生の時に起きました。

私の横で数学の問題を解いていた時、私が軽い咳をしたのです。「先生、大丈夫ですか?」と言ってすぐ私の後ろに回り背中をこすってくれたのです。「大丈夫よ。」

 私ぐらいの年齢になると、風邪をひいたわけでもないのに咳が出る時があるの、だから大丈夫よと言ったのですが、私の顔の前にきて「先生本当に大丈夫ですか」と言って、私の顔を覗き込むのです。あの時のNちゃんの本当に「心配する顔」は、私にとって鳥肌が立つくらい衝撃的なものでした。そのNちゃんの咄嗟の行動に森田療法で言う「純な心」を見た思いがしたのです。Nちゃんは、最初は難しい子供でした。しかしながら、人間は人格を宿していると言う事実において平等であり、すべての人は、人格という不可視なものの働きによって、人間として存在しているのです。Nちゃんは、少なくとも私より森田療法的な生き方をしていると思った瞬間でした。

『森田療法の“感じ”とは』

▪周囲の事に心をとめていくことで、何かの「感じ」が起こってきます。その感じに対して理屈を挟まずにちょっと手を出すと、感じは高まり、興味や進歩が生まれてきます。

今から15年ぐらい前の事です。その頃預かっていた4歳の孫(男の子)が「おばあちゃん、お空見て!」と言ったのです。そこには、何とも言えない綺麗な夕焼けが広がっていました。「きれいだね」と言った私はそのまま空を見つめてしばらくボーツとしてしまいました。今まで、夕焼けなんて見ることがあったのだろうか?孫が夕焼けを見て綺麗だと思ったのは、何の理屈も入らない森田療法で言う「純な心」で心であり、そして、この「感じ」も強迫性障害(強迫症)が良くなったからこそ感じられるものだとしみじみと思ったのです。

『森田療法の“恐怖突入”とは』

▪症状のために逃げていたことを、不安を感じるままに行うことを森田療法では「恐怖突入」といいます。自分の恐い気持ちや認めたくない感情を、嫌々でもそのまま注視してみることです。

▪恐怖や不安など、自分が嫌がっている感情と向き合うことはとても恐ろしいことですが、「恐怖」そのものになりきり、自分の感情をそのまま見つめる事ができたとき、恐怖が変化し流れる経験をするでしょう。これが森田療法で言う「あるがまま」の体験であり森田療法で言う「不安・恐怖になりきる」ことです。

 私の場合の「恐怖突入」とは強迫行動に対して歯を食いしばって我慢することでした。アイロンの転機の時を思い返してみると、苦しさが頂点というか沸点に達した時に、苦しさになりきるというか、もうこれ以上身体も心も耐え切れない、このまま死んでしまうかもしれないというふうにふっと思った時に感情が流れるということを体験しました。

 そしてその時は、このまま死んでもいいという覚悟でアイロンをかけ続けたのです。

『森田療法の“共感”とは』

▪私たちはどんな感情を持っても構わない、感情という部分ではみな平等です。

▪自分が避けたいと思っている嫌な感情も無視せず、しっかりと認めてあげることで、今まで自分を縛っていた厳しい価値観から解き放たれて自由になれます。

▪厳しい価値判断で否定していた様々な感情や、それを感じていた自分を事実として認めていくことで、それまで持っていた差別観が平等観へ転換でき、他人に対しても真の共感が持てるようになります。

 私は自己中心的な人間でした。2年前に腰の手術をしてから3ケ月に一回整形外科に通っておりますが、私より症状が重い人が沢山おりました。それでも、皆さんそれを受け容れて一生懸命生きていらっしゃいます。

 また、先日同級会があり、はた目には幸せそうに見える人でもお話をすると、それぞれ苦しみを抱ているのです。私も長男夫婦との悩みがありますが、同じような悩みを抱えていらっしゃる人達と胸襟を開いて話し、「隣の芝生は青いと」言うけれどみんな「大変で・淋しくて・哀しい」のだと思えるようになりました。

 私は、人生の終盤になってやっと、この森田療法で言う「平等と差別感」と言うことを体得できたのです。

 そして、子どもを持つということは喜びもあるけれど、それと同時に淋しさや哀しみも同時に引き受けなければならないということも痛感したのです。

最後に

「20数年前、毎日家事もできなくて汗だくになりながら強迫行為をしていて(私にはもう明日がない)と思っていた頃を思うと、今の平穏で平凡な生活は何にも勝る幸せです。これもひとえに自助組織「生活の発見会」の存在のおかげです。理事長始め自助組織「生活の発見会」に関わっておられるすべての皆様に感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。本当にありがとうございます。」

参考文献
☆ 『生活の発見誌』2019年7月号、8月号
  発達障害の支援に森田療法を活かす(上)(下)松浦隆信
☆ 『生きる哲学』 若松英輔