森田療法の学習で行動と感情のバランス M.O 女性 キャリアコンサルタント

とらわれのきっかけ~不安症(全般性不安障害)、パニック症(パニック障害)

私が不安症(全般性不安障害)になったのは、長女の出産後でした。陣痛は長く、20時間以上かかりました。お産の直後に先生に「お尻まで裂けたので、縫いますね」と声をかけられて、麻酔もなく縫ってもちっとも痛くない。それほど陣痛はキツいものなのですね。でも、翌日からしばらくはその痛みで椅子に座ることもできませんでした。

生まれたばかりの娘は、病院でやっと母乳を飲ませても、すぐに吐いてしまう。看護婦さんに「この子ちょっと変よ」言われて、とても不安になりました。それでなくてもお産の後は、ホルモンの関係もあってか、精神的に不安定になります。

さらにそんな時に、会社に勤めていた時に一番沢山話をして、隣の席で仕事を教えてもらった先輩の男性が自殺したことを知ります。

その知らせを聞いた時に私は声を上げて泣きました。どのくらい泣いたのか覚えていませんが、泣き止んで初めに言った言葉は「怖い」でした。なぜか自分も同じことをするのではないかと感じたのです。ベランダにでると飛び降りるのではないか、包丁を持つと自分を刺すんではないかと恐怖を感じ、一歩も外に出られない「自殺恐怖」になりました。

どうして、私はその大切な人の自殺の話を聞いてその先輩よりも自分のことを心配するのかと自分を責めていました。本当はその人はもっと前に亡くなっていました。会社のみんなは私がショックで流産してしまうのではないかと心配して、「転勤した」と嘘をついてくれていました。

不安症(全般性不安障害)の症状と森田療法との出会い!

それからはさらにあらゆる症状が襲ってきました。お風呂に入っている時に、心悸亢進を起して、死の恐怖に襲われます。そして、また同じようになるのではないかという予期不安。一日中緊張している。食べられない。激しい不安感。不眠等々。全く眠ることができないまま明るくなるのを泣きながら待って、起き上がるとこれから始まる一日を想ってまずはトイレに吐きに行きました。そしてまたお湯を沸かしてまたトイレに吐きにいく。そんな毎日を過ごしていました。笑ったこと等なかったように思います。ただただ苦しい闇の中で助けを求めていました。

そんな時に本屋で見つけた森田療法図書「森田式精神健康法」という本で自助組織「生活の発見会」を知ることになります。自分だけではなかった。それが分かっただけでも、救われました。毎月届く発見誌(自助組織生活の発見会が毎月発刊する月刊誌)

偶然に飛び降り自殺を目撃した人が私と同じように自殺恐怖になる体験談を読んで、「私だけじゃないんだ」と森田療法で言う平等観を得ることができました。そして「人の心ってこんな風になることがあるんだ」と心から腑に落ちると自殺恐怖は次第になくなっていきました。

心悸亢進で、パニックになり、部屋中を歩き回る私に「お母さん!」と叫んで抱き着いてきた長女。その不安そうな顔を見降ろした時には、「もう二度とこの子の前ではこんな姿を見せないように我慢しよう」と覚悟して、次のパニック発作を待っていると、なかなか発作は起こらないのです。 起こっても、不思議なことに、騒がずに我慢しているとじきに収まっていくのでした。

症状はどこから来ていたのか?

本当は、私の不安症(全般性不安障害)は産後の体調不良だったからでもなく、大切なひとの訃報を聞いたからでもなく、本当は自分自身の問題であることを私は心の奥底のどこかで分かっていました。でも、無意識の奥に自分で押し込んで向き合うことから逃げていたのだと思います。

私は、一人の人間を育てることが怖くて仕方なかったのです。誰も助けてくれない。夫もまだ父親になっていませんでした。自分が死んでしまったら、この子はどうなってしまうのか?と自分の死を恐れ、市の保険所から来た人に相談すると、その人は何も言わずに、私の情報が書かれた紙に赤いペンで「要注意」と書きました。それを見たときにも、「ああここにも、助けてくれる人はいない」と絶望しました。

それまでも思い通りにならないことは沢山ありましたが、努力したり、勉強したりでどうにか解決してきました。ですが、育児は私にとってすべてが初めてのことで何が何だか訳が分からない事ばかりでした。必死で読んでいた育児書に書いている通りにならないと、もっと不安になります。それまで小さな子供を抱くこともなかった私。そんな機会もなかった人間が、突然母親として一人で立派に子育てできるわけがありません。机上の勉強以外の経験が全く不足していました。世界中の母親がちゃんと育児が出来ているのに「なぜ自分は出来ないのか?」と森田療法で言う差別観をつのらせていました。

自分はなんでも努力で解決できるというねじれたプライドの高さ。夜はぐっすり眠っているべきで、食事は3度きちんと食べなくてはならない等の常に快適であることへの激しい執着。これらがさらに症状を強くしていくのでした。

森田療法の不十分な理解から感情を置き去りにした結果

私は森田療法を勉強して、行動こそがすべてを解決するという解釈をしていました。それでも、症状は大分楽になっていました。対面の基準型学習会(自助組織生活の発見会が主催する森田療法を体系的に学習するセミナー)を受けて、子育てが落ち着いた時にすぐに社会に復帰できるように準備をしておこうと決意していました。

下の子が中学生になったときに、新聞広告で英語の講師を募集していました。そこに電話をして、「タイ語は要りませんよね?」と聞くと「要ります!すぐに来てください」と言われて、仕事をするようになるのです。人生とは分からないもので、主人の赴任について行ったタイ王国で私はタイ語を習っていました。ほとんどの人達はある程度話せるようになると、タイ語をやめてしまいますが、私は良い先生に巡り合うことができ、読み書きができるまでタイ語を習いました。まさかそれが帰国後の職業に結びつくとは思ってもいませんでした。

始めは女子トイレもないような工場にいき、タイ語を教えていました。働きながらも自分の力のなさを補うために名古屋大学の大学、大学院に科目履修生という形でタイ語を学び直しました。そして、次第に仕事が増えるようになっていきます。大企業からの依頼も増えていました。

そのうちに、私は嫌なことがあると、その気持ちから逃れるためにひたすらに行動、行動と仕事をして家事をしてと、ブレーキが効かなくなっていきました。「感じることは悪いこと」という図式が私の中で出来上がって、気が付くと私はもう泣くことも笑うことも出来なくなっていました。悲しいことがあっても、泣けない。テレビで、面白いことを観ても笑えなくなっていました。その時の感じは、まるで生きていないような言葉にならない感覚でした。夫はその頃インドに赴任中。ほとんど話をすることもできませんでした。今思うと、その頃私はもう限界だったのでしょう。誰かに助けてほしかったのに、誰にも頼ることができませんでした。そして私は、身体を壊すことになります。

大学病院で難病に罹っているのを知ります。血液内で自分の免疫が暴走して自分の赤血球や血小板を攻撃してしまいます。それを知ったときには

「私は、ちゃんと行動しているのに。誰よりも必死で働いて、家事もちゃんとやって、一人で子育ても頑張っているのに」とどこにもぶつけようのない怒りや理不尽さに打ちのめされていました。

森田療法の再学習、2度目の基準型学習会に参加して、感情を取り戻すまで 

どうすればいいのか思いあぐねた私は同じ自助組織生活の発見会が運営する集談会(森田療法を学習し体験交流する場)の中部支部で、あまり話もしたことがない女性に電話をするのです。なぜあの時に私はその人を選んだのか今でも不思議なご縁です。

その人は、オンライン基準型学習会(森田療法を体系的に学ぶセミナー)のインストラクターをしていて、その電話で私はオンラインで2度目の基準型学習会の受講を勧められました。

始めは、もう会員歴20年を超える私がいまさら何を学ぶのか?と思っていました。でも、その学習会の内容はいままで信じてきた森田療法(理論)とはすこし違っていました。

正確には私が勘違いをしてきたのかもしれません。その森田療法(理論)は「行動も大切ですが、自分の本当の感情をそのまま感じる」というものでした。今まで私が蓋をして感じないようにしてきた感情です。インストラクターの方々の決して否定されない返信に私はやっと本当の気持ちを書き込んでいくようになりました。気持ちを言語化することで、自分の感情を整理し、客観的に見つめることが出来るようになったと思います。

改めて森田療法で解ったことは、私はどんなことを感じてもいい。嫌な感情も、恥ずかしい気持ちも、怒りも無意識に押し込んでしまわなくてもいい。自分が一番怖がっていた自分の感情からもう逃げる必要はなかったのです。そして、わたしと同じように感情をなくしてしまった人の体験談をインストラクターのもう一人の女性が手紙を添えて送ってくれました。その体験談にはどうやって感情を取り戻していったのかが書いてありました。

その方法は、「今ここ」の感情を足し算も引き算もせずに感じ、それをメモに書きのこすという方法でした。私は通勤電車に乗っていて、「横に座っているおじさんが大きくて窮屈」と言う些細なことからなんでもメモに書いていきました。そうしながら次第に感情を取り戻していくのです。今では、テレビをみて、娘がうるさいというほど大笑いをし、娘が結婚していなくなった時には、寂しくて一人で号泣している私がいます。

森田療法でいう「思想の矛盾」をどう埋めていくか?

「常に人に優秀だと思われたい」「いつも人によい評価をされていなくてはならない」 これが私が大切にしてきた理想でした。その理想が現実の事実と矛盾してくると、人は悩み始めることになります。これを、森田療法では「思想の矛盾」と呼びますね。

自分が傷つきたくない。だからそんな理想と違う現実の状況から逃げようとする。でも、森田療法を習ったおかげで、そんな時は、自分が本当はどうしたいのか?と森田療法の根幹である症状の裏面にある欲望を考え、その欲望にすこしづつ近づいていく生き方をなるべくしたいと思っています。「かくあるべし」も大き過ぎると良くないのですが、「人に優秀だと思われるに越したことはない」とか「時々は人に良い評価をされたい」と現実に即したものに書き換えると楽になり、また着実な努力の源になっていきました。

森田療法を創始した森田正馬(しょうま、まさたけ)先生は「そんな自分を自覚しているだけでいい」と言っているように思います。良いことも悪いこともただ自分にはこんなところがあると、自覚していると、自然に腕を引っ張って行き過ぎた心の勢いを引き戻してくれる。そんな風にバランスがとれるようになっていくのです。

森田療法から学んだ、本当の「生きていく力」

森田療法を勉強する中で解ったことは、何か苦しいことがあったときに、解決することだけでなく、嫌な気持、不快な思いを感じながら、何かに手をだしていくうちに、なぜか物事はどうにかなっていました。これこそが短絡的でない本当の「生きていく力」なんだと思います。

 その事が体で体験できると、また再び困った事態にも、同じように「すこし感じながら変わらない日常に心を込めてやってみよう」という知恵のようなものが身について行きました。(体得とも呼びます) そうこうしているうちに大抵は5日後くらいには自分が変わり、またしばらくすると周りの状況も変わっていきました。そこまで持ちこたえられる自分にたいする信頼。その結果をもたらしてくれる自然の力にたいする信頼。

私の「森田療法」

森田療法を知るまでは、何か嫌なことがあればすぐに解決をしようと必死に努力し、自分がどんな欲望を持っているかやどんな人間であるかなどは考えることもありませんでした。

それが、森田療法を知った今は、嫌なことが起きると、「まずはしばらく待つ」ことができるようになりました。そしてどうして自分はこんな気持ちになるのだろうかとその「裏面にある欲望が強すぎていないかを想う」ようになりました。「その時々で自分を自覚」し、体を動かす。その後の展開は、自然や自分を信じていれば大丈夫だともう一人の私が肩に優しく手を置いてくれているような気がしています。