強迫性障害(強迫症)~雑念恐怖、疾病恐怖、昇格恐怖を森田療法で克服

大学入試前にとらわれた強迫性障害(強迫症)~森田療法に出会う前の苦しみの日々

大学入試の3ヶ月前に、「よし、全部復習するぞ!」と気合いを入れた途端、参考書に向き合って集中しようとすると、「今日のご飯なんだろう」とか、「お風呂何時に入ろう」とか、そういう雑念が浮かぶようになったんです。雑念がチラッと頭に浮かぶと「集中してないとダメだ」、「もっと集中せんとあかん」と焦ってしまい、すっきり頭に入らなくなりました。とにかくちょっとでも雑念が頭に浮かぶと、もう1回最初から読み直すんで、1~2ページ読むのにだいたい30分から1時間かかるようになりました。翌日も翌々日もそんなことが続いて、「もうあと3ヶ月しかないのに、全然頭に入らないじゃないか」と、絶望感というか強烈な不安が出てきました。

ちょっとでも雑念が頭に浮かぶと、「もうダメだ」と思い、「今日はやめて明日スッキリした形でまたスタートしよう」と、翌日またやるんですが、やっぱりちょっとでも雑念が浮かぶとダメ……というのが1ヶ月ぐらい続き、絶望感でいっぱいになりました。1校しか受験の申し込みをしていなかったので、「これはやばいなぁ」、「このままじゃ落ちる」、「こんな状況で浪人しても1年間もたない」と思うようになりました。その頃は森田療法の「精神交互作用」や「思想の矛盾」は知らなかったので、精神集中するためのジョギングをやったり、座禅を組みに行ったり、精神統一とか、いろんなことやったんですが、いざ勉強し始めると雑念が次々に浮かんでくる。絶望感が広がって「このままでは人生ダメになる」と思い詰めました。

このような最悪の状況で受験したのですが、運良く受かりました。もう、その時は腰が抜けた感じになりましたね。

それが一つの大きなきっかけになって、「自分は困難にぶち当たるとノイローゼになる」という認識ができてしまったんです。だからこそ「自分の性格を強固なものに変えていかねばならない」という〝性格改造〟ですね。「性格改造せねばならないんだ」という思いが非常に強くなりました。

その頃から、心を鍛えるために「太っ腹を作る本」であるとか、「性格改造本」だとか、宗教の本もひっくるめていろいろな本を読んでいた……学生時代はそんな感じでしたね。

就職してからの予期不安と恐怖(森田療法に出会う前)

就職してからもその傾向は続き、小売業に入ったもんですから、転勤は多くて、転勤や昇格のたびに困難な状況にぶち当たるので、常に不安なんですね。転勤が決まるとガーッと不安が出てきて「うまいこといくだろうか」という不安で、引っ越しする1週間前から部屋にこもりっきりで性格強化本や宗教本を読みあさっていました。

ところが、引越しして新しい新天地に行く。行くまでは大変な予期恐怖と不安なんですが、行ったら意外とそこで頑張って仕事するわけですよ。それはあとで自助組織「生活の発見会」で森田療法を勉強してわかったのですが、森田療法の「生の欲望」っていうのか、本来の「認められたい」とか、新しい新天地で「成果を上げたい」とか、そういう欲求が出てきたんだと思うんですね。だから不安は本当になくなって、仕事にワーっと集中している自分が出てきました。でも、後から冷静に見たらそういうふうに思えるだけで、その時は必死でした。

◆初めてのことには不安は当然。不安の片面の欲望を見つめ、不足点を準備するなど実現に向けて行動。(これは、森田療法を勉強して解ったこと)   

疾病恐怖(強迫性障害・強迫症)のなかで出合った森田療法の本

そうこうするうちに厄年を迎えて、その頃週刊誌で話題になっていたエイズ検査をしてみようと、気軽に受けてみたんです。そうしたら別に問題なしでした。けれども週刊誌で情報を集めると、まだ未解明の病気だということで、「もう1回行こう」、「もう1回行こう」となって、結局1年近くで7回か8回行きました。全部基本的に白だったんですが、それでも「完全に解明された病気じゃない」と言われると、また不安になってくるんです。完璧な安心を求める自分がいるので、検査して1週間後に診断結果が出ますが、1か所の病院では心配で2か所ぐらい行って、ついでにエイズだけじゃなくて他の血の病気や肝炎も気になったから、そちらも検査し始めたんです。まあ怒涛のような病院巡りですよね。(強迫性障害・強迫症の確認恐怖)

そういうのがあって、「これはちょっと、メンタルおかしいんちゃうかな」と。医者からも「何回あんた来るの?」、「精神科案内しようか?」みたいなことを言われたもので、精神科に近々行こうかなと思っていたとき、たまたま本屋で自助組織「生活の発見会」初代理事長、長谷川洋三著の『行動が性格を変える』という森田療法の本に出合いました。それまで数十冊、性格強化本を読んでいましたけれども、森田療法のその本だけなにか本物だと感じたんですよね。それから森田療法のその本が僕のバイブルになって、もうボロボロになるぐらいマーカーを引いたりして読みあさりました。

同時に、本に記載していた森田療法を学習する自助組織「生活の発見会」に入会しました。

そういう症状がピークの頃、それでも部長候補になっていたんですよ。昇格セミナーがあって、そこで妥当かどうかを評価してくれるのですが、「俺は全力出し切れないし、もうダメだわな」、「行かないでいいんじゃないかな」と思ったけれど、心の奥底で、行かなければ「社会的な死」だというような思いがあったんです。森田療法でいう「生の欲望」っていうかプラスの欲求、そういうのがあって、とにかくセミナーに参加してみんなとディスカッションしながらビデオに撮って評価するんですけどね。最悪だと思っていたら、評価的には「非常にポイントを捕らえてリーダーシップを発揮している」などと、良いことが書かれた結果が来たんですよ。どんな不安があっても、やればやっただけの成果は出るもんだなという貴重な経験をしました。(後日、森田療法で自覚)また、森田療法の行動基準の1つである気分は気分のまま、やるべきことをきちんとやっていく。そのなかで成果が出るという、後々考えて非常に参考になった経験をしたと思います。

自助組織「生活の発見会」でゼロから森田療法を学ぶ

森田療法の本に出合って森田療法を学習する集談会に参加する中で、一番頭に残っているのは「事実唯心」(じじつゆいしん・じじつただしん)、事実が正しいっていう言葉です。何回も検査して問題ないんだから、事実としてはゼロなんだということを理屈ではわかる。感覚ではまだ不安感があるけれども、そう思うわけです。

※事実唯真(じじつただしん)(事実にあらざれば真に非ず)~森田療法創始者である森田正馬(しょうま・まさたけ)先生の言葉。

強迫性障害(強迫症)~雑念恐怖、疾病恐怖、昇格恐怖から脱却できた瞬間

もう一つは「今やるべきことをやりなさい」ということが、あの森田療法の本に書かれていたんですよ。「不安は不安のまま、やるべきことをやりなさい」と。だからとにかく「そうしよう」ということで、仕事で今日やることを一つ一つ丁寧に1個1個書いて、それを今日の仕事にしていくというふうにしました。まあ、それでも例の疾病のことは頭からピュピュって出てくるんで、その都度ぐっと落ち込むんですけれど、とにかく仕事をやっていきました。そういうのを繰り返しているうちに、症状のことを忘れている時間がだんだん長くなり、症状から脱却できたかと思います。

※森田療法の神髄~不安のまま、いま必要なことをやる!

その前に、森田療法を学習する自助組織「生活の発見会」主催の基準型学習会(森田療法を体系的に学習するセミナー)を受講したので、そこでいろいろな自己洞察をしました。本当にゼロから森田療法を学び直しましたからね。背筋に1本骨が通ったような気がして、今までモヤモヤとしたもの、例えば「感情はコントロールできないんだ」とか、「不安は自分で取り除くことはできないんだ」とか、「今やるべきことをきちんとやりなさい」とか、こういう正しい認識をそこで勉強させていただいたという学習会でした。森田療法を知る前の大学受験のときの強迫性障害(強迫症)の雑念恐怖から47歳までの過去を振り返って、森田療法的に分析できて、非常に良い経験をさせてもらったということです。

※雑念は自然現象。起こるに任せて放任。否定や排除する必要は無い。

(森田療法を学習して学んだこと)

大規模プロジェクトを任されて~森田療法の活用

森田療法を自助組織「生活の発見会」で学び、それがベースになり、あとはいろいろ会社で、いろいろな課題を与えられながらやってきました。大変だった経験の1つに、大規模プロジェクトを任されたことです。社長直轄のところだったので、すごくプレッシャーがかかったんですよ。「1年以内で成果を出せ」と。それからもう、早朝覚醒で3時ぐらいに目が覚めるようになりました。これ、森田療法を知らなかったら、多分症状として固まってきて不眠恐怖とかになったと思うんです。でも森田療法を知っていたから「これは自然なことだし、しょうがないな。やっぱり気になることがあるんだから」と思っていました。

その時は、枕元にノートを置いて、目が覚めるのは気になることや心配事があるわけだから、その心配事をダーっと書いていって、とにかくあんまり考えずに書いていって、対策もそれなりに書いていくと、だいたいそれで1時間とか1時間半ぐらいかかるんですよ。そうすると全体が見えてきて、解決策も見えてくるようになる。そして眠くなってくる。そういう経験を結構したので、不眠も重症じゃない時は、森田療法の「あるがまま」「自然に服従し境遇に従順なれ」じゃないけれども、「眠れないなあ」と思いながらでも「寝ようかな、目をつぶっとこう」というふうにすると眠れる時もある。また、森田療法創始者の『森田正馬全集5巻』を読んでいると心が落ち着いて眠くなりました。

そういうのを繰り返しながらも、取締役会で提案しても否決されることが何回も続くんですよ。そうすると「やっぱりこれが自分の実力か……辞任した方がいいんじゃないかな」と思って帰る。でもその時に森田療法が出てくるんです。それはそれで「くそー残念だなあ、しょうがないな、もうやめたろうかな」と思うまま、あるがまま。それにかかわらずやっていくと、意外と翌日か翌々日ぐらいに知恵が出てきたり、エネルギーが出てきて、「やったろうかな」という気持ちが出てくるんですよね。そういうのを経験していくと、森田療法の考え方にある「エネルギーを不安を払拭することに使わない」、「そのまま放任してやっていくなかで、新たなものが出てくる」、「あるがまま」というのはこういうことかなと思いました。また悩みながら仕事をしていくという、そういう繰り返しがあって、大ゴケはしなかった自分がありました。

どうにかこうにか、そのプロジェクトは結構大規模だったけれども、完璧ではないけれど形を成した形で収まったんです。まあ、ようやめずに潰れないでやってこれたなと思います。森田療法に出会ったおかげです。 

自助組織「生活の発見会」で森田療法を勉強して身に着いたこと

森田療法を勉強してきてよく使うのは、やっぱり「感情の法則・第一」です。本当に致命的なショックを受けても、そのまま放任しておけば1日か2日で普通になって新たな知恵が出てくるのを何度も経験しましたから。第一の法則というのはすごいなぁというふうに思いました。

※(感情の法則第1)感情はそのまま放任すれば山形の曲線をなしひとのぼりしてついには消失する。~森田療法の感情の法則の中核。

日常生活を崩さずに、今日1日きちんと一つ一つこなしていく。特に不安がある時には、今日やることをきちんと書いて丁寧に一つ一つやっていくうちに、1日が一生懸命過ぎていって、達成感みたいなものが出てくるようなところがあります。

それと最悪と思われることにも、いろいろな最悪の場面、曲面があると思いますが、やっぱり最悪の場面でもプラスの面は必ずあるという森田療法の基軸の1つ「両面観」というのか全体観というか、そういう見方ができるようになりました。

 それから、悩みがありながらでも今やるべきことをきちんとやれるだけの持久力。昔は不安があったら、とにかくそれを片付けないと次に行けなかったんですが、それはそれで引きずりながら、今やることをきちんとやれるような耐性が身についた、というところが大きいんじゃないですかね。

まとめ

30年近く森田療法を自助組織「生活の発見会」で勉強して、いろいろな仕事や人生の難局で活用した森田療法ですが、「どんなに不安な状況でも日常生活を壊さない」、「今日のやるべきことを一つ一つ丁寧にやる」ということに尽きるのかなと思います。「どんな絶望的な気分でも、そのまま放っておくと普通になる(森田療法~感情の法則第1)」。そして「頭から血が出るくらい何度も何度も考えることで良い知恵が出る」。そういうふうに思います。

それと「気分と実際は違う」ということ。不安があるといろいろな想像をするんですが、やっぱり実際は違うんだ、強烈な不安があるほど実際はそれほどでもない、ということです。ですから想像より現実の方が楽です。現実になると具体的な知恵が出てくるっていうのが分かりました。

 それから、森田療法を創始した森田正馬先生もおっしゃっていますが、苦しみはどんなに苦しんでも苦しんで損をすることはない。なかなかそういう域まではまだ達していませんが、それを思いながら生活している現状です。