森田療法を学び対人恐怖(社交不安障害)とうつの克服体験談 T.I 男性 会社員
人前で緊張してしまうということは自然なこと
40歳の時に、森田療法と自助組織「生活の発見会」(森田療法を学びいろいろな
不安障害(神経症)から立ち直った人々の互助組織)という会のことを知りまして、さっそく生活の発見会に入りました。まず対人恐怖(社交不安障害)のほうなんですが、その時一番苦しかったのは人前で話す時に震えてしまうということだったんですけれども、生活の発見会へ入って、まず森田療法(理論)を学ぶ〝基準型学習会〟という初心者向けの学習会を受けました。何を教えてもらったかというと、緊張してしまうということは自然なことなんだということを教えてもらいました。自然なことなので、それを震えないようにしよう、あるいは緊張しないようにしよう、落ち着こうというふうに自分の気持ちをやりくりしたりコントロールする必要はない。むしろそうやって自分の気持ちをやりくりし、コントロールしようとするからこそ、ますますその気持ちが強くなる。緊張が強くなるとこの緊張を「何とかしよう、何とかしよう」と思うから、気持ちが緊張のほうに固まってしまい、ますます震えて頭が真っ白になってしまうんだということです。
その時に、緊張してしまう自分の気持ちのほうではなくて、今、目の前のこと、人前で自分が話したいこと、話さなければならないことをちゃんと分かりやすく伝わるように話す…そっちのほうに気持ちを持っていくんだということですね。今までは、とにかく「緊張してしまった、震えてしまった、どうしよう、どうしよう!」ってそっちに向かっていたのを、それはそのままにしておいて、目の前の目的…聞いている人に対してちゃんと自分の思いを伝えることに気持ちを向けるんだということを教えてもらいました。
でも実際には、やっぱり会議や朝礼で震えてしまうんですよね。「また震えちゃった。恥ずかしいな」と思うんですが、「今、俺がやらなきゃいけないのは、震えを止めるほうじゃなくて、そうだ! 相手が分かるように伝えることだ、そっちだった!」というほうに注意を向けると、いつの間にか震えや緊張ということを忘れているんです。伝えるほうに気持ちが行って、震えることを忘れるという経験をするようになりました。そうすると、そういう会議の場とか朝礼の場であっても、前ほど緊張はしなくなりました。
それと、上司や同僚、ほかの部門の人に、なかなか聞きたいことを聞けない自分の気の弱さがありました。これを何とか変えて勇気を振り絞って話しかけなきゃと思っても、その勇気が出ない自分を責めていました。でも今は、話しかけて嫌な顔をされないか、変なふうに思われないか、どう思われるか心配だっていう気持ちも自然なものだということで、それをコントロールしようとか、なくそうとしないで、それはそのままでいいからほっとく。目の前のことが本当に今聞かなきゃいけないことであれば、それは嫌でも聞かなきゃいけないんで、変なタイミングで聞いて怒られるかもしれないけれども、おそるおそる、とにかく聞いてみる。実際やってみると、だいたい7~8割は嫌な顔はされないことが分かったし、嫌な顔をされたとしても、別に露骨に嫌な顔をするわけじゃなくて、「悪いけど後にして」と言われるだけです。あと、何か物を頼むときも「嫌だよ」って言われることはほとんどなくて、そんなに頭から否定されるものではないということが分かりました。
前は、ちょっとでも嫌な顔をされると何日も落ち込むということがあったんですが、いつもいつもそういうことではないということが分かるようになって、仕事上で人に話しかけることもできるようになりました。本当にうれしかったですね。それまで、サラリーマンとしては一生懸命やっていましたが、何かちょっと残念なサラリーマンだったって自分でも分かるんです。でも、そういうふうに人に話しかけられるようになって、会社の評価も急に良くなって、何か自信がついてきて、非常にうれしかったですね。
抑うつ症(抑うつ神経症)から“うつ”へ
対人恐怖(社交不安障害)は良くなったんですが、抑うつ症(抑うつ神経症)のほうは、発見会に入って1年ぐらい経った後、はっきりした〝うつ〟になりました。それは何でかというと、森田療法でいう目的本位で頑張って仕事をしていましたが、そうすると自分は会社員なので、やはり周りから認められたい、評価されたいというふうに思うわけですよね。森田療法ではそういうことを〝本来の欲望〟といって、そういう自分の欲望に従って生きることが大切であるというので、「そうか、俺も周りから認められたい、評価されたいっていう、その気持ちを大切にして、仕事を頑張ろう」と思いました。
「頑張ろう」「頑張らなければならない」と思って、その頃はまだ独身で、仕事一途で、朝も会社には7時半頃着いて、もう20年も前の話ですから夜も9時、10時ぐらいまで会社にいて、朝は会社に7時半に着くためには6時ぐらいに出ます。それには必ず5時に起きなければならないので頑張って5時に起きるんですけれども、日々働いてヘトヘトなので、5時に起きられないことも当然あるわけです。そうすると「5時に起きられない自分は駄目な人間だ。意志が弱い」というように自分を責めるんですよね。頑張って目覚ましも2つぐらいかけて、5時に起きる。夜も仕事して、土日も家にいたってしょうがないので、ほぼほぼ会社に出て頑張ったんですが、やっぱりヘトヘトになるんです。そういう自分を駄目なやる気のないやつだと思い、「もっとやる気を出さなきゃ! もっと頑張らなきゃ!」というふうに頑張りました。
要は、森田療法でいう「生の欲望」に従って活動せよということを、それが森田療法だと思って頑張って働いていたんです。でも、だんだんと疲れてきて、そうすると自分を責めるようになって、「俺、何やってんだろう?」っていう虚無感もどんどん大きくなって、1年経ったところで何年かぶりに心療内科のお医者さんのところへ行って、薬をもらいました。その先生が言うには、「働きすぎです」ということでした。薬をもらって一段落着いたんですが、「自分は目的本位で頑張って働いてきたのに、何でうつになっちゃったんだろう?」ということが非常に疑問でした。
そこで、また自助組織「生活の発見会」で、今度は中間層の森田療法勉強会みたいなのに出たんですよね。そこに出て、何で自分がうつになったのかというのが分かりました。
なぜ、うつになったのか理解できた!
発見会に入った時に、基準型学習会(森田療法を体系的に学習するセミナー)で最初に、人前で緊張するとかそういう感情は自然なものなので、それをなくそうとかコントロールしようとすると、ますますそれが強くなって苦しくなるということを学んだんです。でも僕は、頑張って働いているけれども、「やっぱり今日は休みたい」と思うこともあるんですよね。あるいは朝、いつも5時に起きられない自分を責めていましたが、「今日はもっと寝ていたい」という時があるんです。そういう気持ちが出ると、また怠け心が出たっていうふうに自分を責めて、もっと意志を強く持たなければと、自分を叱咤激励してやってきたんです。でも、「もっと休みたい」とか、「サボりたい」とか、そういうネガティブな気持ちを持っちゃいけないっていうことで押さえつけていました。押さえつけていたから溜まって、心の中で不完全燃焼みたいになってうつになったというのが分かりました。
感情っていうのは別に、「頑張ろう」っていう感情は良い感情で、「サボろう」っていう感情は悪い感情…ということじゃなくて、僕みたいにネガティブな感情を押さえつけて生きてきた人間にとっては、「サボりたい」とか、「今日は話しかけたくない」とか、「緊張して嫌だ」とか、そういう気持ちをむしろちゃんと感じるようにしないといけなかった。いつも押さえつけようと本能的に思っているので、そこはちゃんと「俺は、今日は休みたいんだな」「サボりたいんだな」「上司に話しかけたくないんだな」っていうその気持ちをちゃんと拾い上げていかないと。そうしないとついつい蓋をしてしまうんで、蓋をしている自分に気づいて、その気持ちをちゃんと感じてあげることが大切なんだということを教えてもらいました。実際、その通りにして、朝、眠くて「今日はさすがに眠いな。もう一回寝たいな」と思う時には、二度寝するようにしました。
自分にとっての発見は、今まで意志の力で弱い自分を叱咤激励していないと、自分はどんどん駄目になると思っていたんですけれども、そういうふうに、朝、二度寝したいなと思って二度寝すると、二度寝した時の「ああ、二度寝ってこんなに気持ちいいことなんだ」ということが発見できたっていうのが、自分的には大きいことでした。
ネガティブな気持ちをそのまま感じていたら、自分はどんどん悪いほうに行っちゃうんじゃないかということも思ったんですが、朝寝ていて「ああ、二度寝は気持ちいいな。もう少し寝ていよう」と思ってそうすると、「そろそろ起きなきゃやばいよな」っていう気持ちも湧いてくるんです。でも、「今日はサボってもいいかもしれない。それほど大した会議はないから」っていう時は、やっぱりサボっちゃうんですよ。でも、そういうことが続くと、「さすがにそろそろサボっているってことも分かるよな」とか、「今日行かないと、重要な会議があるんで怒られるよな」っていう気持ちも湧いてくるんですよね。サボりたいって気持ちは悪い気持ちだから押さえつけて行こうとするんじゃなくて、「サボりたい」「二度寝は気持ちいいな」って気持ちもそのままちゃんと感じるんです。「うつらうつらして天国だよな」っていう気持ちを感じていると、いつの間にかこっちから「でもそろそろやばいよな」って気持ちも湧いてきて、どっちも感じるようにしました。感情に良いも悪いもないので。
どっちも感じていると、どこかのタイミングで、「そろそろやばい」っていうほうが、ぱっと天秤が上がる時があるんですよね。それは自分の意志じゃなくて、感情が勝手に調節し合って上がるときがある。頑張って起きるんじゃなくて、「ああ、やっぱりやばいよな」って、そのまま気がついたら起きているというふうになるんですね。
そういうどっちの自分、どっちの感情も、そのまま感じていれば自然にバランスが取れるようになるんだということを森田療法中間層の会で教えてもらいました。そういうふうに感情を大切にするようにして、「弱い自分は駄目だ」「サボる自分は駄目だ」と自分を責めることがなくなって、肩の力が取れたような、何かちょっと自由な感じになって、うつもよくなりました。
実は、それからも時々、年に1回ぐらい、うつになることがあったんですよね。日常生活もうまくいくようになって、自分を責めるということもそんなになくなって、良くはなっているんですが、なぜか分からないけれども年に一遍ぐらいうつになって、朝起きても何か漠然とした不安があって、休日もやっぱり虚無感にさいなまれるということがありました。
時々、うつになる「理想と現実とのギャップ」への対応
何でそういうふうにうつになるかっていうのは、自分では分かっているんですよ。サラリーマンとして、それなりに仕事も楽しくやって、仕事でも日々いろんなことが毎日毎日起こって、それを一つ一つ対処していくわけです。目の前のことに手をつけ、怒ったり笑ったりっていう、そういう日々の生活は、それはそれで充実しているんですけれども、時々こんなふうに、日々、ただ目の前のことをバタバタやって、結局それで俺は死んでいくんだっていう気持ちがあるんですよ。
何か自分の夢だとか、あるいは世の中の理想だとか、そういうものを持って、そこに向かってまっしぐらに努力していく生き方をすべきなのに。いや、大切なのは、日々、目の前のことをやっていく…その日常が大切なんだっていうことは分かるんです。そういうふうにむなしいとかなんとか、そういう自分に対して「何を青臭いこと言っているんだ。大切なのは、日々、こうやって目の前のことをやって生きていくことじゃないか」っていうふうに自分に言い聞かせるんですけれども、どんなに言い聞かせても、やっぱりその下から、「結局、俺はそうやってむなしく死んでいくんだ」という気持ちがどうしても出てくるんです。
森田療法の「自然良能」「自然治癒力」の働き
このような、理想と現実とのギャップの対応についてはこれも森田療法はちゃんと答えを用意してくれていたということです。森田療法を創始した森田正馬(しょうま、まさたけ)先生の言葉で、「そういう自分の心をただ認めていればいい。そういう自分の心をただそのまま自覚していればいい。そこが一番大切なことだ」っていう言葉があったんです。
僕の所属している自助組織「生活の発見会」の創始者、水谷啓二先生の森田療法の本にも、自分がそういうふうなことを思っている、あるいはそういう感情を持っている、そのことをただ自覚していればいい。それを良くしようだとか、変えようとか、そういうことは全然必要なくて、ただ自分の心の事実を自覚し、認め、見つめているだけでいい。そうしたら、あとは「自然良能」(森田先生の言葉。今の言葉で言うと自然治癒力)、心にはそういうふうに自然にバランスよく調整する機能があるんだから、あとはそこに任せておけばよくて、ただ自分の気持ちをそのまま見つめていればいいっていうことが書いてあったんです。
本当に卑近なことで言うと、朝、会社に行って「おはようございます」って言うのが、僕、苦手なんですよね。それはいまだに…。「おはようございます」って言って、相手が「おはようございます」って言い返してくれないと非常にショックでガーンとくるんですよね。あるいは、ちょっとでも向こうの「おはようございます」っていう返事が遅れると、やっぱり嫌われていたんだっていうふうに思ったりします。それで挨拶できなかったりするんですけれど、そういう自分を駄目な自分だと思っていて、やっぱりそういう自分を変えなきゃいけない、そんな小さなことにこだわらない人間にならなきゃいけないって思っちゃうんですよね。
でも、自分はそういうふうに、朝、相手に「おはようございます」って言ったら、やっぱり相手から、自分と同じように元気に「おはようございます」って言ってほしいんだ。俺はこんなに頑張って「おはようございます」って言っているんだから、相手もちゃんと「おはようございます」って言ってくれなきゃ駄目だと思っている。そういう自分の気持ちを見つめるところから始めて、上司に話しかけにくい時も、やはり俺は今、上司に話しかけたら嫌な顔をされないかとか、迷惑がられないかとか、「そんなことぐらい自分で調べろ」って言われないかなって思っている、その時の気持ちを否定せずに、逆に当然だよって肯定もせずに、とにかく「今、上司に話しかけたくないんだ」っていう気持ちを見るようにしました。そんなことで、いろんな自分の気持ちを見ることにしました。
そうしても、休日になるとやっぱりむなしいんですよね。仕事をしていれば仕事で気が紛れるんですが、気が紛れない休日は、やっぱりむなしさが湧いてきて、「ああ、何だろう? このむなしさは。ああ、そうか。やっぱり自分は〝ただ目の前のことだけやって死んでいくんだ〟って思っているんだな。何かしらの夢とか希望だとか、あるいはそれこそ本当の生き方みたいなものがどこかにあって、それに俺は憧れているんだな。だからこんなにむなしいんだな」っていうふうに、自分の心を見るようにしました。
そうすると不思議なことに、むなしさっていうものがいつの間にか変化しているというか、忘れているんですよね。「俺は自分の在るべき姿を生きていないっていうふうに思っているんだな。だから今こうしてむなしいんだな。ああ、そうか、そういうことだったんだな」。こういうと、事柄は何の解決もしていないんですけれども、むなしさっていうのをいつの間にか忘れているんですよ。その代わりに、(その時は煙草を吸っていたので)煙草を吸いながら、「むなしいな。どこかほかに今の自分じゃない本当の自分みたいなのを俺は求めているんだな。だからこんなにむなしいんだな」、そんなことを考えていると、いつの間にかむなしさや空虚感っていうのを忘れていて、「それにしても今日はいい天気だな」とか、「風が気持ちいいな」とか、そっちのほうに心が行っているんですよ。
そうすると、むなしさはもちろんあるんだけれども、このむなしさを何とかしようっていうふうにはもう思わなくなって、それよりは、今こうやって風が吹いていて、「ああ、いい風だな」「お日さまが照っているな」「葉っぱがきれいだな」とかね。そうすると、お日さまが輝いていて、風が吹いていて、目の前に友達がいて、奥さんがいて、こうやって話している。それがとても何かうれしい感じがするようになるんです。これ、何でそうなのか全然分からないんですが…。森田先生や水谷先生が言うように、〝こうやって自分はむなしく死んでいくんだ〟という、その気持ちを見つめているうちに、自然と、むなしさもあるけれども、こうやって今生きていて風を感じていたり人と話している楽しさがあったり、そっちのうれしさみたいなのも感じられるようになって、どっちもあり…ということで何か生きるのがうれしくなる。ちょっと言い方がオーバーで気恥ずかしいんですけれども、「生きるのがうれしい」っていうような感じです。
そこで初めて「ああ、俺の対人恐怖も抑うつも、もうどうでもいい」って話ですね。そりゃ、むなしい時もあるし、人に対して話しかけにくい、あるいはドキドキするときもあるけれども、でも「そういうこともあるよな」みたいな感じですね。
人前で話す時だって、やっぱり震えるけれども、震えて恥ずかしいな…それで終わり。必要なことを話していけばいいっていうこと。むなしさも時々感じたりするけれども、こうやってほかの人と一緒に何かやることによってうれしいっていうこともあるし。「どちらももちろんありだよね」っていうことで、初めて何か自由になったというか、肩の荷が下りたというか、楽になったっていうところですかね。
そこで初めて、森田療法というのは、森田先生自身が森田療法のことを〝自然療法〟とか〝自覚療法〟っておっしゃっているのは、なるほどこういうことかと。自分の気持ちを単に、ただ見つめているだけで、良いとか悪いとか価値判断は必要なくて、ただ自分はそういうふうに「今、むなしいんだな」「今、緊張しているんだな」って、それをちゃんと見て自覚していれば、自然と人間の中にある自然良能というか、自然治癒力というか、そういうバランスを取っていく力が働いて、自然に良くなっていくっていうのが森田療法なんだと分かったような気がします。