視線恐怖・醜形恐怖・対人恐怖などの社交不安障害の克服体験談 H/Y(男性)会社員
視線恐怖・醜形恐怖・対人恐怖などの社交不安障害とは、どのようなものなのでしょうか?
自分の不安症(不安障害)は社交不安障害(対人恐怖・醜形恐怖)でその中でも「自己視線恐怖」といいます。自分の目が醜いと思っていて、それで相手と目を合わせてしまうと、相手に不快感を与えてしまうというふうに思ってしまい、相手の目を見られないとか、相手の顔が見られないというような状態になってしまいました。そこから派生して、自分の目の形が醜いというふうに醜形恐怖症を発症してしまって、そこからますます人の顔が見られない、目が見られないというような状態になってしまいました。
社交不安障害(対人恐怖症)となった背景
不安症(不安障害)になった背景・きっかけとしましては、家族構成としては父親と母親と3歳年上の兄がいるんですけれども、ちょっと家庭環境が悪いというか、よくないというか、父親がとても生真面目で、自分が絶対正しいというふうに、自分の意見を曲げられないような人でした。母親も細かいことをとても気にする神経質な人でした。それで兄がいたんですけれども、兄との関係も、とても相性が悪くて苦しみました。
家庭環境としましては、四六時中口論とけんかが絶えないような家庭でした。兄とも相性が悪くて、子ども部屋が一つしかないんですけれども、いつも相部屋で、不安症(不安障害)の症状が出てきた頃には、一緒にいるだけで悪寒が背中を走るような、そんな状態の関係でした。そんな環境で育ったので、小学校、中学校時代は自分に自信が持てなくて、おどおどしていて、自分の意見が言えない、そんなような子どもでした。
不安症(不安障害)の症状として強く出てきたのは、高校2年の受験期ぐらいからです。その頃は、母親が自分に対する教育熱がとても強くて、すごいヒステリーを起こしているような感じで、とても怖い存在だったんですね。勉強しないで寝てしまうと、兄に「あいつ勉強しないで寝てしまったよ」って母親に報告されて、母親の癇に障るみたいな状態になってしまうので、布団にも入れずに机に突っ伏して泣いているようなことが多々ありました。
そんな状態を繰り返していたので、勉強できるような状態じゃなく、親を恨んで、自分が生まれてこなかったほうがよかったんじゃないかっていうふうに、とても悩んでいました。
不安症(不安障害)の回復のきっかけとなった出来事
20代前半で精神状態が限界になってしまったので、精神科を受診しました。その時に、うつ状態というふうに言われた記憶があります。特に正確な診断名を言われた記憶がないんですが、「ちょっと重いうつ状態だね」と言われました。そこから、たくさん薬を処方してもらい、たくさん薬を飲んでろれつが回らなくなったりとか、唾液がたくさん出てきてしまったりというような状態も経験しました。
そこの病院で、デイケアを紹介してもらったんですけれども、デイケアでコミュニケーションの訓練をしたりとか、ゲートボールとかのレクリエーションをやったりしました。その後にそこの病院で、精神障害者の社会復帰施設というのを紹介してもらいました。そこで心の病気を持った仲間の人たちとの交流を持ったりしました。あと、スタッフがとても熱心に自分の話を聞いてくれたんですね。時間外になってしまっても熱心に聞いてくれたりして、そこで初めて温かい人との交流ができたかなというふうに思います。そこに2年間ぐらい通ったんですが、温かい人との交流があって少しずつ精神状態が安定してきました。
そしてその頃、29歳になっていたんですけれど、それまでは仕事を探す基準が、人と関わらない仕事とか誰にでもできる簡単な仕事っていうのを目指していたんです。でも初めて30歳になる前に、人の役に立つ仕事とかやりがいのある仕事をしたいというふうに思いました。そんなとき、たまたまヘルパーの仕事のCMが流れまして、それで「あ、これだ!」「これをやってみたい!」というふうに思って、ヘルパー2級の資格を取得しました。最初はまだ社交不安障害(対人恐怖症)の症状も強かったので、自信はなかったんですけれども、パートで有料老人ホームに就職しました。
そこの有料老人ホームは、比較的ゆるい施設で職場の人間関係もゆるかったので、働くことができました。介護の仕事に出会えたのはとてもラッキーだったなと思います。劣等感の塊だった自分を、入居者さんは「あんたは優しいからいいよ」「ありがとうね」って、とてもたくさん褒めてくれました。そこで少しずつ回復してきたかなって思います。あと、そこで自己肯定感も少しずつ得られたのかなと思います。
介護の仕事をしていて、そこの入居者さんと旅行へ行ったりとか、夏の盆踊りに参加したりとかもして、とても楽しい思い出もたくさんあります。その中で、好きなおばあちゃんがいたんですけれど、その入居者のおばあちゃんから、介護をしている時に「あなたのことが大好きです」って言われたんですね。すごくうれしかったのを今でも覚えています。
自助組織「生活の発見会」との出会い
介護の仕事を始めた時には、社交不安障害(対人恐怖症)の症状や劣等感が強くて、とても悩んでいました。そこで、この苦しみは何とかならないかとインターネットで調べていたところ、森田療法を学ぶ自助組織生活の発見会のホームページにたどり着きました。それと前後して、どちらが先か分からないんですが、森田療法関係図書の長谷川洋三先生の『森田式精神健康法』という本に出会いまして、それを読んでとても感動したのを覚えています。
自助組織生活の発見会のホームページを見て、自分のような症状の人のことが書いてあって「これだ! これしかない!」と思って、わらをもすがる思いで入会しました。最初は、いろいろな集談会(森田療法を学習し体験交流する場)へ思い切って参加するんですが、なかなかそこで人とコミュニケーションが取れなくて、続けて参加することはできませんでした。
そのうち、自助組織「生活の発見会」が主催する森田療法を体系的に学習するセミナー「基準型学習会」があるというのを聞きまして、勧められて参加しました。基準型学習会というのは、講師の方と世話役の人と、あと受講生が十数名いたんですが、初日の顔合わせのときに行ってみたら、すごく社交不安障害(対人恐怖症)の人が多かったんですね。この人も対人恐怖症、あの人も対人恐怖症っていうことで、「ああ、自分だけじゃないんだ、社交不安障害(対人恐怖症)っていうのは」と、とても感動したのを覚えています。自分だけじゃないっていうのに気づくことができました。
それで3か月間、森田療法を系統的に勉強して、勉強し終わった頃にはとても高揚して、「ああ、もう大丈夫、もう治った」と思ったんですけれども、しばらくするとやっぱり社交不安障害(対人恐怖症)の症状が出てきてしまいました。
基準型学習会の世話人をやっていた人から、「地元の集談会(森田療法を学習し体験交流する場)に来ないか」「世話人をやらないか」というふうに声をかけていただきました。そこで世話人という役割をもらったことによって、地元の集談会に継続して参加できるようになりました。継続して参加することによって、受付とか懇親会係とか、そこでは代表幹事も経験させていただくことができました。社会経験の少ない自分にとっては、とてもよい経験をさせていただきました。やっぱり自助組織生活の発見会に入って森田療法を学びつつ役割を持つということが回復を早めるなと思います。
森田療法で学んだこと、生活に活かして気づいたこと
森田療法というと、人間の再教育だというふうによく聞くことがあるんですけれども、不安症(不安障害)の症状でがんじがらめになって周りが全く見えなくなっていた状態の時に、森田療法に出会うことによって「人ってこういうものなんだよ」っていうことを優しく教えてもらったかなと思います。
森田療法を学んでよかった点としては、〝両面観〟というのがありまして、良いところと悪いところって一つのコインの裏表だよっていうことです。社交不安障害(対人恐怖症)はあるんですけれど、社交不安障害(対人恐怖症)だから全て悪いってわけじゃなくて、社交不安障害(対人恐怖症)があるから人に対して「人が傷つくことを言っちゃいけないんだよ」とか「人には明るく挨拶しましょう」とか、そういうことを実際にできると思うんですよね。悪い面としては、コミュニケーションが消極的になってしまったりとか、他人の思惑を気にしすぎてしまうってことがあると思います。
あと 森田療法でいう〝生の欲望〟という部分があるんですが、自分は高2ぐらいから「もう死にたい」っていう希死念慮がとても強くて「死にたい、死にたい」って繰り返していたんですけれども、その裏には、「生きたい」「よりよく生きたい」というとても強い願望があったというのに気づきました。そういう生きたいっていう願望があったから、森田療法にも出会えて、介護の仕事にも出会えたんだと思います。
あと森田療法の〝平等観〟としては、自助組織「生活の発見会」が主催する森田療法を体系的に学習するセミナー「基準型学習会」に参加して、社交不安障害(対人恐怖症)の人と交流することによって、自分だけじゃないというのがわかったかなと思います。そこから派生して、「親も自分を育てるのがとても大変だったんだな」「生活するのにとても大変だったんだな」と思うことで、親への恨みとか憎しみは消えていきました。今は両親にとても感謝しています。今、母親が認知症になりました。それで、あんなに口論ばかりしていた父親も、母親の介護に参加しています。そして、自分も介護の仕事をしているので、ある程度、介護のことが分かったので、母親の介護をしています。
介護の勉強をして、介護の本もある程度読んだのですが、その中でとても感銘を受けた文章がありまして、「男性の介護が増えています。私はこれは災難ではなく、むしろチャンスだと思います。親の生きざまや老いていく姿、死んでいく姿と真正面から向き合ってほしいのです。それは多分、親から学ぶ最後のチャンスなのですから。そして、逆の立場からいえば、老いて介護を受けて死ぬ姿を見せるというのは、まさに子どもにしてあげられる最後の子育てではないか」という文章に出会ったんですね。(『ケアプランを自分でたてるということ/橋本典之・島村八重子 著』
これは、とてもそうだなと思います。介護というとどうしてもネガティブな感想を持つ人が多いんですが、自分の場合は母親が認知症になったために、父親が母親の介護をする、そして自分も介護の仕事をしていたので介護を手伝うことができるっていうことで、今まで壊れていた家庭がかえって復活したんですね。ですから、本当に介護というのは、両親がくれる最後の贈り物なのかなって思っています。なので、これからはしっかりと母親と父親を支えていきたいなと思っています。
森田療法に出会えて感謝したいこととしては、森田療法を知って、自助組織生活の発見会を知ることができて、森田療法を学びながら一緒に生きる仲間ができたことは、とてもよかったなと思います。